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2010.04.23

女将・里貴(りき)のお手並み

「与(くみ 組)頭さま。ちょっとお耳を---」
江戸城内の黒書院の前の廊下で、平蔵(へいぞう 30歳)が、すれ違った牟礼(むれい)郷右衛門勝孟(かつたけ 55歳 800俵)を柱の陰にいざなった。

安永4年(1775)の新年の行事が片づき、城内の晴れがましさ、あわただしさも平常にもどった10日過ぎであった。
「茶寮〔貴志〕の女将が、お運びいただける日と時刻をうかがってほしいとのことでした」
「む?」
「いつぞやのお礼に、一夕、お招きしたいと---」
「さようか。そちもいっしょであろうな?}
「はい」

16日の七ッ半(午後5時)ということに決まった。
牟礼与頭は非番の日であり、平蔵は当直(とのい)ではなかった。

「では、そのように伝えます」
「うむ」
なにごともなかったように別かれた。

:下城のとき、供の松造(まつぞう 24歳)に、その旨をしたためた文をもたせ、自分は日本橋通3丁目箔屋町の白粉問屋〔福田屋〕へ向かった。

一番番頭の常平(49歳)が目ざとく認め、たすき掛けで仕事をしていたお(かつ 34歳)に声をかけた。

「出られるか?」
うなずき、
「お(せん 28歳)さん、あと、おねがいね」
たすきと前掛けをお乃舞(のぶ 16歳)へ渡し、ついてきた。

浮世小路の蒲焼〔大坂屋〕の2階の小座敷に落ち着いた。
酒は、まだ仕事中ですからと断ったので、平蔵だけが呑み、白焼きにすこしだけ箸をつける。

「その後、新大橋西の奥方はどうなっている?」
新大橋西詰に屋敷がある菅沼藤次郎(とうじろう 12歳 7000石)の母親・於津弥(つや 36歳)のことを訊いた。
藤次郎の剣術の稽古が日暮れ前にあがると、平蔵はそのまま辞去していた。
津弥も、
「四ッ目の別荘でお酒のご相伴を---」
口説いたことは忘れたみたいに、ほとんど顔を見せない。

のほうは月に4度ほど、〔野田屋〕の仕事のあと、お乃舞とともに髪結い、化粧という名目で呼ばれているが、化粧は湯殿で、3人とも裸姿でおこなっている。

参照】2010年4月18日[お勝と於津弥] 

「ええ。無難に勤めてますが、そろそろ、葭町(よしちょう)のほうへお引きあわせをと---」
葭町には、陰間茶屋があった。
売れない役者も座敷をつとめていた。

「それはいかぬ。目付に知れると、菅沼家が断家される」
「どうすればよろしいのですか?」
「もうしばらく、つつづけておいてくれ」

話題を変えた。
京都で評判をとった、むくの木の皮を煎じた髪の艶(つや)をたかめる祇園町の〔平岡油〕は、江戸にきているか訊いた。
「いいえ」

参照】2009年10月26日[貞妙尼(じょみょうに)の還俗] (

芝神明一帯の香具師(やし)の元締・〔愛宕下(あたごした)〕の伸蔵(しんぞう 45歳)を〔野田屋〕の主・文次郎(41歳)ところへ相談にやるから、祇園町の〔平岡油〕の話をしてやってくれ」

平蔵とすれば、いろいろ世話になっている〔愛宕下〕のに、なにか儲け口を授けてやりたかった。
〔愛宕下〕がとりしきっているお披露目枠のひとつに、芝神明前に〔花露屋〕という伽羅之油を商っている店があった。

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(〔花露屋〕 『江戸買物独案内』文政7年 1824刊)

ここに〔神明油〕をつくらせ、〔野田屋〕ほかで売らせれば、〔愛宕下〕の伸蔵の手元にもいくばくか利益の分け前がころがりこむと考えたのである。

「おのほうにも、売り上げの分戻(ぶもど)しが入るだろう」
(てつ)さま。もしかして、お手元が不如意なのでは?」
「おのほうは、どうなのだ?」
京都のときの六分ほどに落ちているが、お乃舞のかせぎもあるから、ゆとりはあるとの返事をしながら、脊をむけ、
肩から細い組紐で斜(は)すに脇腹におとしている小さな巾着を胸元から引きだし、ニ朱銀を3枚(6万円)、懐紙をひねって差し出した。

「ここでの持ちあわせは少なくて。つぎには、もっとご用意しときます」
店が忙しいから、先に失礼すると立ち、
(てつ)さま。たまには真剣をお使いください。あのころのことをおもすだすと、腰がしびれてくるんですよ」

顔も赤らめず、階段をおりていった。
(おんなも、三十路(みそじ)なかばともなると、直截(ちょくせつ)だなあ。この小粒は返しておいたほうが無難のようだ)


参照】2010年4月23日~[女将・里貴のお手並み] () (


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コメント

平蔵さん、相変わらず、もてますねえ。
器量の差とはわかっているとはいえ、ちと、うらやましい。

投稿: 文くばり丈太 | 2010.04.23 06:21

>文くばり丈太 さん
たしかに、もてすぎていますね。
しかし、おんながもてるのとちがい、男がもてすぎると、苦労も多いのでは?
もてない者の僻みかもしれませんが---。

投稿: ちゅうすけ | 2010.04.23 17:17

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