隣家・松田彦兵衛貞居(4)
「1万と飛んで219、1万と220---231---1万と飛んで232歩」
声をだして銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、自宅の門にの前で、ぴたりと両足をそろえて止まった。
(うむ。1里とほぼ20丁(約6.3km強---1刻(とき 2時間)に小半刻(こはんとき 30分)ほど欠ける)
父・宣雄が組頭をしている市ヶ谷本村町の先手・弓の8番手の組屋敷の門前ら、南本所・三ッ目の自邸までの距離を、自分の足で測ったである。
10,232歩---ふだんから、1歩を2尺(60cm)にきめていた。
もっとも、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 30歳)と掛川城下から相良まで旅をしたときは、歩幅を4割方落としたし、いまも、久栄(ひさえ 17歳)とつれだって歩くときもそうしている。
父が火盗改メを下命されたときの、組下たちの通勤距離をしるための計測であった。
若夫婦の起居の場となっている離れへ入ると、久栄が待ちかまえていて話そうとした。
「お隣りの於千華(ちか 34歳)さまにお訊きしたところによりますと---」
「待て。汗まみれだから、井戸で水を浴びてくる」
久栄は、犬がおあずけを命じられたときのような、うらめしげな目つきをしたが、すぐに新しい下帯をわたし、
「先刻、太作(たさく 62歳 下僕)が湯殿(ゆどの)に水を張はっておりました。あちらになさりませ。お召しものも運んでおきます」
「いっしょに、どうだ?」
「まだ、陽が高うございます」
「寺嶋村の家では、日中でも、いっしょに浴びたではないか」
「ここでは義母(はは)上や、下の者の目がございます。お置きください」
「久栄のちっちゃな乳首が恋しゅうての---」
「夜までおあずけでございます。う、ふふふ」
「はっ、ははは」
隣家・松田彦兵衛貞居(さだすえ 62歳 1150石)---が組頭に就いている、先手・鉄砲(つつ)の2番手の組屋敷は、神楽坂上の先、酒井修理大夫忠貫(ただつら 22歳 小浜藩主 10万3500石)侯の藩邸を囲んでいる矢來(やらい)下である。
そこから役宅となっている松田邸までと、市ヶ谷本村町から長谷川邸までの距離は、ほとんど差がない。
「やはり、毎日お通いになるのは、きついらしく、雨降りの日などは、お休みをおとりなさる同心の方が少なくないとおっしゃっていました」
久栄が、隣家の奥方・於千華から訊きだしてきた実情に、銕三郎は、きょうの歩数(ほかず)調べを思いつき、この往復は難儀であろうと推量した。
「雨が降ったからといって、盗賊は休まないし、賭場も閉じない」
舌うちをした。
父・宣雄が火盗改メを拝命したら、勤務を1(宿)直2日制にすれば、1往復省けるから、欠勤者も減るであろうと、銕三郎はかんがえた。
それには、宿直(とのい)の部屋を増設しておいたほうがいい。
(それと、食事の炊き出し設備だな。暑い時期に3、4食の手弁当だといたみやすい。宿直番には、晩、翌朝、昼飯をだしてやれば、よろこばれよう)。
【ちゅうすけ注】銕三郎は、自分が先手組頭になるときは、弓の8番手を引き継ぐつもりでいる。たしかに、そういう例は多い。現に、辰蔵(のちの山城守宣教 のぶのり)は、弓の8番手の組頭になっている。
ところが、鬼平は、弓の2番手の組頭となった。これは、大伯父・太郎兵衛正直(まさなお)が移った組であった。
弓の2番手の組屋敷は、先日、銕三郎が〔傘山(かさやま)〕の弥兵衛のことで訪問した目白台であるから、1万232歩ではおさまらず、片道2万歩(8km)はゆうにある。
もっとも、池波さんもそのことには気づいたわけではなかろうが、役宅を清水門におき、組屋敷には四谷坂町をえらび、木村忠吾のような同心でも欠勤しないように配慮はした。
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