〔松戸(まつど)〕の繁蔵
「長谷川さま。仙次(せんじ 33歳)の奴に、おこころ遣いをいただき、ありがとうごさいました」
駕篭の〔箱根屋〕の主人・権七(ごんしち 46歳)が、送ってやった金3両(48万円)の礼を代弁した。
大谷寺(おおやじ)の岩窟仏像の破片が無事に返った謝礼ということで、宇都宮藩の寺社吟味役・石原嘉門(かもん 38歳)がとどけてきた3両を、権七経由でそっくり仙次に贈ったのである。
箱根の荷運び人たちに手くばりをしてくれた権七は、小料理〔蓮の葉〕での一夕ですますことにした。
ほかの客席へまわっていた女将・お蓮(はす 33歳)が、気ぜわしく入ってき、
「先日の結び文のことで、お話があるというお方がおいでになっております。お引きあわせしましょうか?」
(その件なら、片がついた---と喉まででかかった言葉を呑みこみんだ。
〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(いちべえ 60歳前)に会ってみるのも面白いとおもったからである)
「会おう」
お蓮かみちびてきたのは、齢のころ37,8歳の、町人ふうにはよそおっているが目つきが鋭い男であった。、
(〔蓮沼〕の市兵衛にしては若すぎる)
思ったが、そしらぬふりで、
「長谷川平蔵です」
先に名のった。
「繁蔵(しげぞう)と申します」
丁重に頭をさげた。
「こちらは、〔箱根屋〕の権七どんです」
「お初にお目にかかります。繁蔵でございます」
あくまでも折り目をくずさなかった。
「こちらの〔蓮の葉〕さんにもご贔屓(ひいき)をいただいておる駕篭屋です。で、そちらさまのご商売は?」
権七が、平蔵(33歳)の代りに愛想よく訊いた。
「熊野権現の御師(おし)をしております」
「ほう。ご領域は?」
なぜか、繁蔵が目を伏せ、
「下総(しもうさ)の東葛飾、松戸村から馬橋村へかけて---」
「馬橋村は、たしか、駿州の田中藩の飛び地であった---」
平蔵がつぶやくように口にした。
はっと目をあげ、
「よくご存じで---」
゛なに。先祖が駿河の田中城主であったゆえ、な」
「恐れいりましてございます」
【参照】2007年6月1日[田中城の攻防] (1) (2) (3)
「ところで、〔戸祭(とまつり)〕の九助(きゅうすけ)まわりのことをご存じよりとか---」
平蔵が話題を変えた。
【参照】2010年10月20日~[戸祭(とまつり)の九助] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
| 固定リンク
「111千葉県 」カテゴリの記事
- 〔佐倉(さくら)〕の吉兵衛(2005.02.08)
- 〔神崎(かんざき)〕の伊之松(4)(2009.06.28)
- 〔神崎(かんざき)〕の伊之松(3)(2009.06.27)
- 〔神崎(かんざき)〕の伊之松(2009.06.25)
- 〔五井(ごい)〕の亀吉(6)(2011.01.14)
コメント