〔松戸(まつど)〕の繁蔵(2)
戸祭(とまつり)村の九助(きゅうすけ)のことだが---と、水をむけた平蔵(へいぞう 33歳)に、東葛飾郡(ひがしかつしかごおり)の松戸(まつど)村あたりで熊野本宮の御師(おし)をしているという繁蔵(しげぞう 36,7歳)は銚子を手に酒をすすめてから、
「三島宿で、会ったのがそうではないかと---」
「ほう、どうして九助としれたな?」
繁蔵の話をはしょってまとめると、つい先だって、熊野・新宮での御師の集まりからの帰路、三島宿本町(ほんちょう)西はずれの旅籠〔土肥(とい)屋〕で、越後(えちご)の白山権現の先達(せんだち)をしているかねて顔見知りの伊佐蔵(いそさぞう)と相宿になった。
その伊佐蔵の連れに、23,4歳の男が〔戸祭〕の---と呼ばれていた。
(おかしいな。ここの女将・お蓮(はす 33歳)に九助の人相を記した紙をわたしてから半月と経ってはいない。熊野の新宮までは、どんなに速足でも片道10日はかかろう。
この繁蔵という男をおれに近づけさせた〔蓮沼(はすぬま)〕の市兵衛(いちべえ 50代なかばすぎ)の魂胆はなんだ?)
平蔵が不審をいだいたのを早くも察した〔箱根屋〕の権七(ごんしち 46歳)が先まわりした。
「熊野神社の御師どのとか、越後の白山神社の先達さんなら、ところところのお身内の神社にお泊りになるのではありませんか?」
繁蔵の応えはすじがとおっていたばかりか、権七の前身も割れていた。
「三島は、大社のご神域、駿河は、富士の浅間さんと遠江の秋葉さんのご神力がつよく、手前どもの出る幕がないのは、〔箱根屋〕さんもよくご存じでしょう」
権七も負けていなかった。
「沼津宿には、街道からほんちょっとの鳥谷(とや)に、たしか熊野さんが---」
「はい。こんどの集まりでも、あの社の御師と帰路もいっしょでしたが、神職の伴侶の具合がよくないということで遠慮し、三島まで足をのばしたような次第です」
繁蔵のいいわけには、よどむところがなかった。
平蔵は矛(ほこ)をおさめるべきだと察し、
「それで、九助たちの行き先をお聞きになったかな?」
「はい。三河ということでした」
「三河の---」
「どことまでは---」
「いや。何よりの知らせ、かたじけなかった」
「たしかに、お耳におとど:けいたしました」
「〔蓮沼〕のに、平蔵からの謝意を伝えられい」
語尾まで聞き終え、
「〔蓮沼〕の---と申されましたか?」
「左様---」
「はて。こころあたりがございませんが---」
「それなら、聞き流しておかれい」
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コメント
このところ、『鬼平犯科帳』に登場している盗人たちが13,4才若がえって登場するので興味津々です。
きのうからは、のちに蓮沼の市兵衛の右腕となる松戸の繁蔵が、なんと、熊野三山の御師を表向きの職業にしていたとは---!
御師なら全国を嘗めて歩けます。
うまく設定されましたね。
投稿: 文くばりの丈太 | 2010.10.29 05:14
>文くばりの丈太 さん
いつも細かくフォローしていただき、ありがとうございます。
このブログは、長谷川平蔵のイタ・セクスアリスにことよせて、最高の火盗改メといわれた存在になるまでの過程を、史実を織り交ぜながらすすめています。
とうぜん、『鬼平犯科帳』に登場している盗人たちにも若いころがあたったわけで、そのころの銕三郎、あるいは平蔵宣以とどこかで接点があったかもしれないと連想しながらの書きすすめです。
ときどき『鬼平犯科帳』に登場している盗人をからませたほうが、アクセスしてくださっている鬼平ファンの方々にも身近になるのではと---。
ただ、いつかもコメントしましたが、その盗人は逮捕されないことが条件となりますから、そこをどうするかの勝負です。
投稿: ちゅうすけ | 2010.10.29 07:05