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2010.10.30

〔松戸(まつど)〕の繁蔵(3)

長谷川さま。御師(おし)の繁蔵(しげぞう)という男、どうご覧にまなりましたか?」
当の〔松戸(まつど)の繁蔵(37歳)と名乗った男が部屋を出ていき、玄関のほうで女将のお(はす 33歳)か゜わざとのような、
「ありがとうございました。近いうちのお運び、お待ちしています」
筒抜けの声を耳にとめてから、〔箱根屋〕の権七(ごんしち 46歳)が、顔をよせ、訊いた。

「あやしいところはかずかずあるが、しっかりしている。それに、機転もまわる」
平蔵(へいぞう 33歳)は、冷えた盃を干し、手を叩いておを呼び、新しい酒をいいつけた。

三河のほうの知りあいに、白山神社の所在を問いあわせてみると力んだ権七に、
「いや、寺社奉行所で調べればたちどころであろう」
平蔵は、寺社奉行の戸田因幡守忠寛(ただとを 41歳 宇都宮藩主 7万7,000石)の役者のような面高(おもだか)の顔をおもいだしていた。

(明日にでも、不忍池の北の下谷七軒町の藩邸に遣いをやり、宇都宮藩の寺社奉行の配下である、寺社吟味役の石原嘉門(かもん 38歳 80石)に、東海道ぞい一連の白山神社の名簿を依頼しよう)

察しのよい権七が、越後(えちご)の白山権現の先達(せんだち)をしている伊佐蔵(いそさぞう)の素性もあらったほうがいいのではないかと問いかけた。

「寺社奉行所で、先達のことまでわかるであろうか?」
「先達として、あちこちの白山社で世話になっておりましょう。ご府内なら、小石川の白山権現社へ訊きあわせれば、わかるかも---」

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(小石川・白山権現社 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)

うっかり火盗改メに頼むと、おもいがけない被害人をださないともかぎらないので、いろいろ考えた末、白山権現社への聞きこみは、〔音羽(おとわ)〕の元締・重右衛門(じゅうえもん 52歳)へふったら、なんのことはない、その日のうちに越後国蒲原郡(かんばらこおり)の山あいの貧しい暮坪(くれつぼ)の小里の樵(きこり)の子で、先達をしないときは山師をしていると知れた。

ちゅうすけ注】暮坪(くれつぼ)の小里の生まれの伊佐蔵が、文庫巻14[五月闇]で、伊三次を刺した〔強矢すねや)の伊佐蔵であることは、あなたもとっくにお察しとおもうが、〔通り名 (呼び名ともいう)〕の〔強矢〕がなにに由来したものかは、まだ調べていない。

が新しい酒を用意してきたのを機に、〔蓮の葉〕の部屋へ戻る。

酌を受け、
「〔松戸〕のは、帰ったのかな?」
「お目にかかれたことをたいそう喜んでいらっしゃいました」
「女将の新しい情人(いろ)ではなかったのか?」
「とんでもないことをおっしゃいます」

「どういう、つながりなのだ?」
「ちょくちょく、お使いいただいおります」
「相手は、どういう顔ぶれかな?」

銚子を置いたおが、
長谷川さま。こういう商売では、お客さまのことを、ほかのお客さまに洩らすことは、許されておりません」
「これは一本とられた。はっ、ははは」
「でも、寝間での睦言は、別でございますよ」
「そうであろうな、そうであろうとも」

権七が、不安げな目つきで平蔵を瞶(みつめ)た。

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コメント

松戸の繁蔵の御師にしても、強矢の伊佐蔵の先達にしても、盗人の仮面の職業としては『鬼平犯科帳』に登場していません。しかし、旅をする職業としてはいい隠れ蓑かもしれません。自由業に近いし。

そういえば、戸祭りの水呑みで大谷石の切り出し人というのも、住まいを考えるてありうる職業です。

ちゅうすけさん、よく調べているのに感心しています。

投稿: tsuko | 2010.10.30 06:37

>tsuko さん
意識して聖典に出なかった職業を盗人にふりあてているわけではなく、旅をしていても不思議がられない職業ということで、〔荒神(こうじん)〕助太郎には、趣味の絵師をふりあてました。表の職業は京都の太物屋。

お勝には、化粧指南師。もっとも、引き込みをやめてからですが。
左官の塗り士も創造したこともあります。

まあ、その種の史料にはこと欠きませんから、いろいろ、出してみますが、本筋はあくまで、銕三郎のイタ・セクスリアスと盗賊改めの予備修行であることに変わりはありません。
ほんとらしく書けていればいいのですが。

投稿: ちゅうすけ | 2010.10.30 08:27

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