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2005.03.15

〔強矢(すねや)〕の伊佐蔵

『鬼平犯科帳』文庫巻14に収められている[五月闇]で、火盗改メ・長官の鬼平の信頼の篤い密偵・伊三次を刺殺した、急ぎばたらきの盗賊。上信の2州から越後・越中へかけてが縄張り。
(参照:密偵・伊三次の項)

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年齢・容姿:上野山下の下谷2丁目の提灯店にある岡場所の女・およねの見立てだと37,8歳。
色白ですこし肥っている。胸に刃物の傷痕。
生国:越後(えちご)国蒲原郡(かんばらごおり)暮坪(くれつぼ)村(現・新潟県五泉市暮坪)

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(越後国蒲原郡の暮坪の小里)

鬼平が活躍していた寛政期の家数は18だったというから、小さな貧しい郷だったにちがいない。
[五月闇]には伊佐蔵の生国は明かされていないが、文庫巻24の[二人五郎蔵]に登場している〔暮坪(くれつぼ)〕の新五郎が、伊佐蔵の実の弟とあるので、「暮坪」生まれと見た。
(参照: 〔暮坪〕の新五郎の項)

探索の発端:下谷2丁目の提灯店の私娼家〔みよしや〕のおよねの客になったことから、伊佐蔵のことが伊三次に告げられ、伊三次から鬼平へ報告された。
しかし伊三次は、自分と伊佐蔵のかかわりあいは、死の直前まで、鬼平に打ち明けることができなかった。
〔みよしや〕に網が張られた。そして、伊佐蔵が現れた。

結末: 現れた伊佐蔵を、〔みよしや〕で待ちぶせていた〔大滝〕の五郎蔵が追ったものの、すんでのところで逃げられそうになった摩利支天横丁へ、運よく入ってきた鬼平が、捕まえた。火あぶりの刑。

つぶやき:この篇の読み手の関心は、伊佐蔵のことより、殺された伊三次へ集中する。周囲を明るく、骨惜しみをしない伊三次の密偵ぶりに惜しみない声援を送ってきたからである。
鬼平も、やることなすことがいちいちつぼにはまってきたと、その働きぶりを高く評価していた。

しかし、池波さんによると、行きがかり上、伊三次はどうでも死なねばならなかったのだと。その理由(わけ)は、伊佐蔵の妻と通じて駆け落ちし、その果てに彼女を殺した罪を、池波さんが許せなかったからかも。
それはいいとして、伊三次の死後、伊三次のような根あかでしっかり者のキャラクターはついに創られなかったのは、どうしてだったのだろう。

「暮坪」という地名は、羽前(うぜん)国田川郡(たがわごおり)温海(あつみ)村(現・山形県西田川郡温海町五十川(いらかわ))にもあった。吉田東伍博士『大日本地名辞書』(冨山房 明治33年-)は、こう記している。「暮坪(クレツボ) 今温海村の管内にて、駅路に由り、五十川に至る間也○風土略記云、暮坪村は海辺也。立岩とて数十丈高き岩岨あり、上に諸木繁れり、四方に登るべき便見えず(後略)」
しかし、〔強矢〕のテリトリーが上信2州と越中越後とあるので、越後説をとった。

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コメント

動機の三っつと言われる、物取り、痴情、怨恨の中で怨恨が一番強いですね、怨恨は物取りや痴情と違って寝ても覚めても繰り返す精神状態ですから強矢の伊佐蔵は自分の胸に残る傷跡を見る度に恨みを増幅させた。 伊三次ですが彦十、粂八、五郎蔵やおまさに比べて密偵になった経緯はよく判りません。 「朝熊の伊三次」と言われるごつい名前があるだけに凶賊の一人だったのでしょうが、密偵になってからは一番明るくて木村忠吾と仲良くなっていますね。 密偵(いぬ)と盗賊たちの恨みを買っているだけに命懸けの役目だったのでしょう、 御用聞きよりも密偵を重視しているところに池上さんの小説の特色がありますが隠密が主君からの密命で行動するのに密偵はあくまで平蔵個人と個人的な繋がりの点で違うのでしょうか。 ビデオでは最初から活躍しています。

投稿: edoaruki | 2005.03.16 14:01

>edoaruki さん

当ブログの[〔朝熊〕の伊三次]の項にも書いておきましたが、伊三次の〔朝熊〕という「通り名」は、〔泥亀〕の七蔵を安心させるためにいっただけで、ほんとうの「通り名」ではなかったのではないかと。

その論拠は、あのとき1回きりで、ほかでは使っていませんからね。とくに、彼は幼いときに、東海道の関の宿で捨て子されているので、生国は不明のはずです。

彼が火盗改メに逮捕されたのは、〔四ツ屋〕の島五郎という急ぎばたらきの盗賊一味にいたときだと、文庫巻14[五月闇]p196(新装版p202)にあります。急ぎばたらきといえば、荒っぽいこともやるでしょうから、伊三次は本格派とはいえない経歴の持ち主です。
しかし、密偵になってからは、本格派だったような扱いですね。

長谷川平蔵が密偵を使ったことを、幕府の決まりに反して---と攻撃しているのは、平蔵の政敵の森山源五郎孝盛です。
しかし、その森山孝盛は、平蔵の後任として火盗改メに任命されていますが、実績は口でいうほどではなく、ほとんどありません。

おっしゃるとおり、怨恨は根が深いてしょうね。

投稿: ちゅうすけ | 2005.03.16 14:36

五月闇の伊三次は今までの伊三次とは考えられない程
の伊三次でした。

伊三次はおよねから伊佐蔵の名前が出たときから人が変わってしまいました。

伊三次の心の葛藤を池波さんは[五月闇]のP.210で「口から躰の中へ入って行く酒が、腸へ染みるどころか、胸のあたりで閊えてしまっているような気がする。」と書いていますが、この「閊える」という字がわからないので辞書をひきましたら「門に山が入らないからつかえる」という解釈が出てました。
池波さんがこの「閊える」を使うことによって伊三次の苦悩を表現したのと思います。

密偵になった格好の良い伊三次と、伊左蔵の女房と密通し、性根の悪い女だと殺してしまう伊三次と真の伊三次は?

投稿: 靖酔 | 2005.03.16 20:41

>靖酔さん

死の床にある伊三次が、伊佐蔵との因縁を、伊佐蔵を畜生働きの悪鬼の道にねじ曲げる原因(もと)となっているにちがいない自分のひどい所業を、鬼平に告白したとき、平蔵がいいます。

「長谷川平蔵、たしかに、聞きとどけた。なれど忘れるなよ」
「へ---?」
「お前は、わしの子分だということを、な----」

結びのひと言で、伊三次の10年来のこころの「閊え」がとれ、やすらかに死の国への一人旅につくことができました。

舞台だと、観客のすすり泣きが起こる場面です。

投稿: ちゅうすけ | 2005.03.17 04:20

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