〔蛙(かわず)〕の長助
『鬼平犯科帳』巻10の[蛙の長助]と、タイイトルにもなっている元盗人---といっても、いまでもついでの小さな盗みはやっている。
主たるかせぎは、煤竹(すすだけ)の耳かきづくり。
長助の手になった耳かきは評判がいいのである。
じつは、耳かきが生地を割りだす手がかりの一つになったが、この経緯はのちほど。
[蛙の長助]に登場したときは、56歳で片足が膝から下がなく、杖をついていた。
脚を失ったのは盗みには関係がなく、15年ほど前に酔った浪人との喧嘩で切断された。
それがもとで、長年配下として勤めていた〔神崎(かんざき)〕の伊之松(いのまつ)から引退金(ひきがね)を50l両(800万円)もらい、その金で掏摸(すり)の業(わざ)の教授をうけたというから、目はしは利いていた。
隣家が金貸し・三浦某から借りたものが返せなくて困っていたのを見かねて交渉に行き、逆に見込まれて三浦の取立て人となった。
したがって、現在の主な収入は、取立ての歩合である。
その取立て事件から、長谷川平蔵とかかわりができ、最後には死に水までとってもらいかねないほどの仲になった。
容貌:タイトルが暗示しているごとく、目玉が大きい、いわゆる蛙(かわず)面である。
小柄で、両足がそろっていたときは身軽で、〔神崎〕の伊之助も重宝していたらしい。
年齢::享年56歳(寛政6年初夏)
生地:竹の耳けずりに長(た)けていること、お頭・〔神崎〕の伊之助が上総(かずさ)国市原郡(いちはらこおり)神崎村(現・千葉県市原市神崎)の出身であること、その配下だったころに仲のよかった〔戸田(とだ)〕の房五郎が同じく上総の武射郡(むしゃこおり)戸田村(現・千葉県山武郡(さんむまぐん)山武(さんぶ)町戸田)の生まれであることなどが、千葉県で竹の産地を調べたら、夷隅(いすみ)郡大多喜が候補にあがってきた。
大多喜町役場に竹細工の村を問い合わせたら、平沢と田代を教えられた。
『旧高旧領』で、石高の少ない夷隅郡(いすみこおり)田代村の貧しい小作人の息子説をとった。
いまの住いは、江戸の池之端の下谷(したや)茅(かや)町である。
心行寺(現存しない)門前の小間物屋の路地の奥---小さな一軒家で独り暮らし。
物語は、長助が30歳前後で、駿府での盗みをおえ、骨やすみで品川宿であそんでいたとき、平旅籠で女中をしていた痩せたおきちに手をつけてしまい、2年間同棲したあと、生まれた娘おきよとおきちを捨て、ふっと次の盗みへはせ参じた。
結末では、おきよの養い親の借金の一部を三浦某へ返したあと、卒中で平蔵の膝に倒れてしまい、捕縛をまぬがれた。
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コメント
長助の耳かき削りから竹細工の産地へ考えをとばす---そのことでもふつうの人はやらないのに、町役場へ電話し、村を訊きだしてしまうというのが、ちゅうすけどんの執念ですね。
このブログは、いってみれば、ちゅうすけどんの執念が読めるからおもしろいともいえます。
投稿: 左衛門佐 | 2010.09.12 05:14
>左衛門佐 さん
つまらないトリビアリズムと、自嘲しているのですが、つい、気になるとしらべてしまって。
学者になれば、助手くらいにはなれたかも。
笑い飛ばしながら読んでください。
投稿: ちゃうすけ | 2010.09.12 15:51