〔笹子(ささご)〕の長兵衛
『鬼平犯科帳』巻11[密告]に登場する盗賊の首領---といっても、物語の舞台である寛政6年(1794)秋の時点では、7年前---天明7年(1787)には、後妻のお百(ひゃく 34歳)に見とられて畳のうえで往生をとげていた。
連れ子の紋蔵(もんぞう)こみでお百を後妻にしたのは、長兵衛が52,3歳のころであったという。
本拠は木更津だが、仕事(つとめ)の地域は安房(あわ)、上総(かずさ)、下総(しもうさ)、常陸(ひたち)から上州あたりまで手びろかったが、
「将軍さまの御ひざもとを荒らしてはいけねえ」
と、妙な理屈をつけ、江戸府内には足をふみいれなかった。
流血を好まず、〔盗み(つとめ)〕の3ヶ条はきちんとまもった。
ふだんは、木更津で〔笹子屋〕という旅籠の主人であった。
宿泊する旅人たちの話から、盗み先の見当をつけていたのかもしれない。
享年:68歳(?)
生国:上総国望陀郡(ぼうだこおり)笹子村(現・千葉県木更津市笹子)
(赤○=木更津 青○=笹子 緑○=犬成 明治20年製)
発覚の発端:お百の連れ子・紋蔵(25歳)が畜生ばたらきをやめないので、母親のお百(41歳)がかつて温情をうけた平蔵に、その押し込み先を密告した。
さっそくに深川・仙台堀ぞい今川町の足袋股引問屋〔鎌倉屋〕方へ出張り、紋蔵一味を捕縛したことから、義父・長兵衛の存在が知れたが、既に物故しているので、おかまいなし。
長兵衛の旧配下もばらばらに散っていて行方は知れなかった。
紋蔵は、銕三郎時代の平蔵が餞別にお百に与えた遺品の珊瑚玉の簪(かんざし)を抱いて獄門についた。
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