〔珊瑚(さんご)玉〕のお百
『鬼平犯科帳』文庫巻11に収められている[密告]の女賊。深川・陽岳寺門前の丸太橋ぎわの茶店〔車屋〕で店員をしていた16歳のとき、百俵取りのご家人の長男・横山小平次の子を身ごもった。小平次は石段の上から突き落として流させようと、お百を聖天宮へ連れていった。が、腹の子は流れず、お百は左脚を骨折。
事情を聞いた銕三郎(鬼平の家督前の名)は、小平次にかけあって23両を出させ、自分の餞別の5両を添えて、赤子を抱いて下総(しもうさ)・周淮郡飯野の笠屋の後妻になっていくお百へ、珊瑚玉の簪とともに持たした。
その後お百は、息子・紋蔵(もんぞう)をつれ、下総・木更津(きさらづ)が本拠の盗賊〔笹子(ささご)〕の長兵衛の女房に。
年齢・容姿:41歳。色白、細おもて。左足をひきづる。
生国:下総国市原郡(いちはらこおり)姉ヶ崎(あねさき)村(現・千葉県市原市姉崎)
探索の発端:火盗改メの役宅の近く、九段坂下で葭簀張りの居酒屋の亭主・久兵衛(55,6歳)が、女から預かったという手紙を届けてきた。
飯田町九段坂(『江戸名所図会』より 塗り絵師:ちゃうすけ)
今夜、深川・仙台堀の足袋問屋〔鎌倉屋〕を15人の賊が襲う、とあった。
結末:賊は、〔伏屋(ふせや)〕の紋蔵一味で、逃げた見張り1名のほかは全員逮捕。死罪。
(参照: 〔伏屋〕の紋蔵の項)
逃げた見張りは、浅草・今戸のはずれ長昌寺わきの盗人宿にいるお百を刺すために走ったが、待っていたお百と相討ちになって死んだ。
つぶやき:人の情けということを、しみじみと語った佳篇。少女時代に銕三郎からもらった珊瑚玉の簪を25年以上も大切に抱いて死んでいったお百の心情もあわれだが、処刑の前夜、鬼平にふるまわれたしゃも鍋の礼をきちんと述べた紋蔵の心根も胸をうつ。
紋蔵へ、珊瑚玉のその簪をわたし、
「明日は、この簪を抱いて行け」
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コメント
わが子を売ってまで銕三郎に恩を返したい
そんな気持ちが[珊瑚玉]のお百という名前から感じ取れます。
持参金を持って嫁いだものの、結果として盗賊になったということは語られていなくても彼女のその後の人生が見えるようです。盗賊になるしか生きて行く道はなかったのでしょうね。
投稿: 豊島のお幾 | 2005.05.06 09:31
「密告」について
悲しい話しですが鬼平犯科帳を勧善懲悪の単純な筋書きにしていない傑作だと思います。
長谷川平蔵も反省しています。
「あのとき、もっと親身になっていたら、俺はそのとき白粉臭い女を抱いていて、一寸の思いつきで簪をとどけさせたのだ」と
それにしても母と子の心の軋轢は哀れです。
投稿: edoaruki | 2005.05.06 13:27