〔鷺田(さぎた)〕の半兵衛
『鬼平犯科帳』文庫巻7の巻頭に置かれている[雨乞い庄右衛門]で、首領・庄右衛門が〔夜兎(ようさぎ)〕の角右衛門のところから独立するとき、右腕としてつけられたほどの仁。
庄右衛門が駿州の山奥の温泉場・梅ヶ島で療養しているあいだ、深川・小松町で眼鏡師の看板をあげながら一味を束ねている。
(参照: 〔雨乞い〕庄右衛門の項)
(参照: 〔夜兎〕の角右衛門の項)
年齢・容姿:60歳に近い。痩せた小さな顔、躰、細い眼。血色はいい。
生国:美濃(みの)国本巣郡(もとすこうり)鷺田村(現・岐阜県本巣郡巣南町呂久)
『大日本地名辞書』は「呂久(ろく)」の項に、「宝江(ハウエ)、古橋(フルハシ)等と合併し、郷名鷺田(サギタ)を採りて村名を改む」とある。「鷺田」なる地名は東日本にはほかにないから、この1行に、池波さんは目をとめたにちがいない。
探索の発端:小田原の剣客・鳥飼喜十郎の道場で旧交をあたためた岸井左馬之助は、江戸への帰路、平塚宿の旅籠〔大和屋〕で、配下の〔勧行(かんぎょう)〕の定七と〔駒沢(こまざわ)〕の市之助に絞殺されそうになっていた〔雨乞(あまご)い〕庄右衛門を助けて道連れとなった。
しかし庄右衛門は、六郷の渡しで心ノ臓の発作が再発、息絶えたが、いまわのきわに、妾のお照へ金をとどけてほしいと頼んだことから、阿部川町・称念寺(台東区元浅草3丁目)の裏の盗人宿がわれた。
と同時に称右衛門は、左馬之助が鬼平の剣友と知るや、自分を殺そうとした配下に半兵衛も与(く)みしていると疑い、小松町の住いを告げてしまったたのである。
結末:半兵衛は、一味の若い男・伊太郎と乳繰りあっていた庄右衛門の妾のお照を、仲間の掟どおりに殺害。
しかし、彼自身も、〔雨乞い〕一味を見限った〔勧行〕の定七や〔駒沢〕の市之助たちに殺された。
つぶやき:配下たちが造反を決めたのは、半兵衛が1年前に市之助を伴って梅ヶ島へ庄右衛門を見舞ったとき、庄右衛門に付き添っていた定七に、「お頭は、もう長くはねえぞ。見ねえ、小鼻の肉がげっそりと落ちている」と、いわでもがなのことをいったのが遠因となっているようにおもう。定七たちにしてみれば、半兵衛を庄右衛門側の人物と見ていたのだ。
お照の情事だが、庄右衛門とすれば、最後の盗めをやりとげた後は、「もう、女の肌身はいらねえ」とお照を自由にしてやり、自分は一人きりで死を待つつもりだった。昔気質の半兵衛が掟に忠実すぎた処分だったともいえる。
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コメント
雨乞いの庄右衛門の片腕
鷺田の半兵衛は眼鏡師ですよね、鬼平犯科帳には他にも眼鏡師は登場しております。 当時非常に珍しかったと思われるのに、もう一人は密偵になっていますので同一人物とも思われませんが混同してしまいます。 庄右衛門が独立したときからの関係で欲得でなった者でないだけに若い者とは馬が合わなかったのでしょう。
投稿: edoaruki | 2005.05.08 15:18
>鷺田の半兵衛は眼鏡師ですよね、
>鬼平犯科帳には他にも眼鏡師は登場しております。
>当時非常に珍しかったと思われるのに、もう一人は密偵になってい>ますので同一人物とも思われませんが混同してしまいます。
もう一人の密偵になっている人物って?
もう一人の眼鏡師というと、ぼくがおもいだすのは、巻18[草雲雀]p228 新装p237 と、巻20[二度あることは]で主役をつとめる芝・三田3丁目の眼鏡師の市兵衛です。
それと、[二度あることで]で、市兵衛の弟子を引き受ける加賀町の眼鏡師・村松与兵衛。
この市兵衛に関係した〔三雲〕の利八は、2005.04.13のブログにあげました。
http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2005/04/strongstrong_b5b9.html
ほかには、眼鏡屋として、文庫9[狐雨]に〔稲熊〕の音右衛門が駒形で〔信濃屋〕文七に化けていましたね。
密偵になった眼鏡師って、どの篇でしたっけ?
投稿: ちゅうすけ | 2005.05.09 07:25