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2010.09.10

〔戸田(とだ)〕の房五郎

鬼平犯科帳』巻10[(かわず)の長助]で、長助が五体満足で〔神崎(かんざき)の伊之松(いのまつ)の配下にい、駿府の盗(おつとめ)をしたとき、気のあった仲間として、一度だけ名前が書かれた。p79 新装版p84
長助は、品川宿の平旅籠の女中をしていたおきちと同棲し、女の子を産ませたが、盗みのために置き去りして出てきたなどと、自分勝手ななことを打ち明けた。
それに対する房五郎の感想は書かれていない。

生地:〔戸田〕という通り名(呼び名ともいう)、〔神崎〕一味のかせぎ場所が関東一円ということから、中山道の板橋宿の先、戸田村の出ときめこんでいた。
ところが、このブログで〔神崎〕配下の〔不入斗(いりやまず)〕のお信(のぶ 30歳=自首時)という女賊(おんなぞく)を設定するときに『旧高旧領』をあたったら、神崎を(かんざき)と読むのは、関東では上総(かずさ)国市原郡の神崎村だけとわかった。
不入斗(いりやまず)〕という奇妙な名の村はあちこちにあったが、伊之松の関連で市原郡の不入斗村に決めた。

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お信の女賊時代にめんどうをみ、情も通じた若い者頭(がしら)の〔戸田〕の房五郎も上総で調べたら、市原郡と武射郡(むしゃこおり)に村名があり、長谷川家の知行地の一つ・寺崎村から3k,mと離れていない武射郡のほうの戸田にした(現・千葉県山武町戸田)

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(赤○=長谷川家知行地 下=片貝 上=寺崎 緑○=戸田
江戸時代に最も近い明治20年制作 参謀本部)
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年齢:^平蔵が29歳で父について京都にいたときに、大多喜城下で伊之松とともに捕まり、処刑されたときが42歳ということで、お信とは10歳の開きがあった。
妻子をなにかで失ったとみる。
それがもとで盗賊になったか。

しかし、お信は30歳のときに、伊之松の正体を知り、翻意をうながす房五郎をふりきって自首している。
2人のあいだにも、深刻に問題が生じていたのであろう。

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コメント

ブログのタイトルが WhO'S WhO ですから、人物にスポットがあたるのは当然としても、きょうの戸田の房五郎のように生地2転、訂正というのも、いかにもネツトらしい。

それにしても、400人からの盗人の出身地が推定されているなんて、まさにシャーロキアンとならぶ、鬼平ファンならぬ鬼平アン。

投稿: 文くばり丈太 | 2010.09.10 05:20

>文くばり丈太 さん
鬼平アンもいいですね。
イラストレイターといっていいのかな、長尾みのるさんからは、池波正太郎ファンということで、正(ショウ)タリアンという称号をいただいております。

投稿: ちゅうすけ | 2010.09.11 09:31

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