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2006.03.30

〔神崎(かんざき)〕の伊之松

『鬼平犯科帳』巻10iに入っている[蛙の長助]で、かつて長助が仕えていた首領。
(〔蛙(かわず)の長助の項:未採録)。
配下でほかに名前がわかっているのは、
〔戸田(とだ)〕の房五郎(ふさごろう 42歳=処刑時)
〔祇園(ぎおん)〕の清二郎(せいじろう 41歳=同上)
〔葛間(くずま)〕の重三(しげぞう 32歳=同上 )
〔烏田(からすだ)〕四兵衛(よへえ 38歳=同上)

〔犬成(いんなり)〕の伍平(ごへえ 37歳=安永3年)は、木更津のお頭・〔笹子(ささご)〕の長兵衛(ちょうべえ 享年68歳)一味へ加わった。

女賊〔不入斗(いりやまず)〕のお信(のぶ 30歳=安永元年)。

小さい組織ながら関東一帯に出没したが、血をみることはなかった。
喧嘩っぱやい長助が剣術遣いと喧嘩して片足を失って盗みの世界から足を洗ったとき、引退(ひき)祝いとして50両与えたほど、しっかりした首領ぶりを示した。


年齢・容姿:どちらも記されていないが、いま56歳の長助がはたらきざかりの30代だったころ、40代前半か。
生国:上総(かずさ)国市原郡(いちはらこうり)神崎村(現・千葉県市原市神崎)としたのは、『旧高旧領』で(かんざき)と読むのは関東ではここ。
あとは美濃国山県郡と摂津国川辺郡、丹後国熊野郡。盗み先が関東一円というから、市原をとった。

江戸期にもっとも近い明治20年ごろの地図

あるいは吉田東伍博士『大日本地名辞典』にある常陸(ひたち)国久慈郡(くくじこおり)神崎郷(現・茨城県那加市石神外宿)

Kanzaki_map
同じく明治20年ごろの常陸国那加郡の地図
Kanzaki_map_up
同地図の本米崎あたりを拡大。神崎郷は石神外宿へ併合された

探索の発端:そのあと、伊之松のことにはまったく筆がおよばない。
話の推移は、長助をめぐってすすむ。弥勒寺門前で、借金取立てのいざこざから、長助殴りたおした御家人を鬼平が投げとばして救ってやったのを見ていた密偵〔舟形(ふながた)〕の宗平が、かつて長助が〔神崎〕一味にいたことを鬼平へ告げた。
〔神崎〕の伊之松のところから、宗平が仕えていた〔初鹿野(はじかの)〕の音松の組へ借りられてよく来ていたので、宗平が顔を見知っていたのである。
(参考:〔舟形(ふながた)の宗平の項)。
(参考:〔初鹿野(はじかの)の音松の項)。

結末:長助は、鬼平が見ている前で、むすめ夫婦のために財布を掏った瞬間、卒中に襲われてそのまま昏睡状態となり、逝った。

つぶやき:盗人の末路としては、趣向が凝られ、いっぷう風味の異なった人情劇。
もっとも、〔神崎〕の伊之松の一生も読んでみたい気もしきり。


てらさんからのHPへの書き込み--- 2003年11月06日

茨城県の神崎村について
私の友達のお祖父さんが、かつて神崎村の村長さんだったそうです。
その友達が「かんざき村」と言っていたので間違いないかと思います。
石神外宿=「いしがみとじゅく」と読みます。
現在の東海村にあります。

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