〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵からの書状(2)
〔殿(との)さま〕栄五郎(えいごろう 30代半ば)を、長谷川平蔵(へいぞう 31歳)の慈悲の峰打ちで、一生歩けない躰にしたのは、聖典『鬼平犯科帳』文庫巻14[殿さま栄五郎]を何度も読み返した結果である。
【参照】2010年7月1日[〔殿(との)さま〕栄五郎] (2)
2009年3月1日[銕三郎、二番勝負] (4)
聖典[殿さま栄五郎]では、鬼平が岸井栄五郎になりすましたものの、〔五条(ごじょう)〕の増蔵(ますぞう)に見破られた。
聖典から増蔵の横顔を引用する。
五条の増蔵という盗賊は、故・狐火(きつねび)の勇五郎の下ではたらいていたのだが、どうしたわけか、勇五郎から勘当(かんどう)を受け、その後はずっとひとりばたらきをつづけている。
それは、まだ、増蔵が狐火一味だったころ、二度ほど蓑火(みのひ)の喜之助(きのすけ)の盗めを手つだったことがあった。蓑火・狐火の両頭目(りょうとうもく)には長い親交があり、手不足の折は双方が補(おぎな)い合っていたものだ。
こうしたわけで、五条の増蔵は〔殿さま栄五郎〕の顔を見知っていたのである。
増蔵は、上州・高崎城下の隠れ家に暮らしており、時折り、諸方の盗賊の手つだいをして稼いでいた。
この篇でも、〔火間虫(ひまむし)〕の虎次郎(とらじろう 45歳前後か)の盗(つと)めを助(す)けるために江戸へやってきていた。
文庫巻14[殿さま栄五郎]が寛政何年の事件かは、わからない。
聖典が、史実の平蔵の天寿(50歳)をすぎても、なお語りつづけられたことは先日も記した。
が、仮に、平蔵の生存中---寛政6年(1794)の事件ということにすると、平蔵の49歳のときで、いま進行中の安永5年(1776)より18年後ということになろうか。
寛政6年の[殿さま栄五郎]のときの増蔵の齢かっこうは記されていないが、これも仮に45歳前後とふみ、栄五郎が〔蓑火〕一味で才覚をふるい、盗賊仲間に令名を高めていた時期の当人を見ていたとすると20年前---増蔵の25歳前後のころであったろう。
栄五郎の令名は20年間も、盗賊界であがめられていたというのだからそうとうなものだが、聖典をつぶさに検討してみると、じつは、[殿さま栄五郎]の篇のほかでは 池波さんは栄五郎を登場させていないし、その姿を見たという者も見あたらない。
田舎盗人の〔長沼(ながぬま)〕の房吉(ふさきち 中年)が出会ったことがないのはあたりまえとして、顔のひろい口合(くつあい)人の〔鷹田(たかんだ)〕の平十(へいじゅう 57歳)や、熟練の甞役の〔馬蕗(うまぶき)〕の利平治(りへいじ 56,7歳)までが噂をたよりにしていたというのは異常としかいいようがない。
変だと気がついた。
栄五郎は、ちゃんとした姿で人前に出られない躰になっていたのではないか?
たとえば、顔に刃傷を受けて頬が欠けたとか、片腕がなくなったとか。
しかし、栄五郎の噂だけは、盗賊界にひろがっている。
とすると、なにかのために噂を流したともかんがえられる。
なんのために?
神格化されていた〔蓑火〕の喜之助お頭の名声をまもるために。
それならば、栄五郎が歩行が不能になってしまった躰をはかなんで、自裁したことを隠しもしようとおもいいたった。
その場に立ち会ったのが〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵(ごろうぞう 39歳)であれば、一生、口を割るまいとの見当もついた。
〔蓑火〕のお頭への自裁の報らせも延ばせるだけ延ばすであろう。
叱声覚悟の、五郎蔵のおもいやりであった。
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コメント
「読みこむ」ということのほんとうの意味を教えていただき、感謝です。
なるほど、殿さま栄五郎は、たしかに、その後、姿を見せません。
いや、[殿さま栄五郎]本篇ですら、本人は登場していません。
ということは、ちゅうすけさんのおっしゃる.ように、噂だけが流布されているともいえます。
なんのために---とまでは、考えつきませんでした。
ちゅうすけさんのように「読みこむ」と、小説も2倍も3倍もおもしろく読めますね。
いや、これは、作家との知恵くらべかも。
投稿: 文くばり丈太 | 2010.07.20 04:01
>文くばり丈太 さん
〔大滝〕の五郎蔵の手紙の文章ですから---。
たぶん、〔蓑火〕一門の衆が、心を合わせて秘し、ものすごい腕前という噂を流しまくったのではないでしょうか。
〔蓑火〕の喜之助の薫陶うけた主要キャラだけでも10指にあまりますからね。盗賊界の情報ルートの要所堂々々に人が配置されていたとおもいます。
幕臣のものとは思えない平蔵の情報操作の知識も、お竜を通じて、仕込まれたと推察しているのですが、いかがでしょう?
投稿: ちゅうすけ | 2010.07.20 07:00
早速にレスをおつけいただき、ありがとうございました。
ちゅうすけさんのこのブログは、われわれの及ばない資料が縦横につかわれているので、勉強にもなるうえ、楽しくもありで、毎日アクセスが楽しみです。
投稿: 文くばり丈太 | 2010.07.20 07:39
>文くばり丈太 さん
史料ですが、若いときから節約に節約をして買い集めてきましたが、当時は、鬼平ではなく、ほかのこと(英王室ご用達とかメグレ警視とかなど)にかまけていまして、このごろになって、ようやく、鬼平がらみで活用することができるようになりました。
もっとも、100万円分ほど、神田の南◎堂書店という札つきの古書店と知らずにかたりとられたりしていますが(くやしいので、つい、書いてしまいました)。
投稿: ちゅうすけ | 2010.07.20 12:28
あけすけに、平蔵先生に相談する藤次郎って、よほど育ちがいいのと、男の兄弟がいないから、平蔵先生を兄のように信頼しているのでしょうか。
女姉妹でも、そういう話はしません。打ち明けるとしたら、よほどに仲のいい親友だけです。
投稿: yosi | 2010.07.21 09:09