〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代(4)
銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、火盗改め・助役(すけやく)の組頭・攝津守虎常(とらつね 55歳 700石)の筆頭与力・村越増次郎(ますじろう 48歳)に手をまわしてもらい、浅草阿部川町の〔佐江戸(さえど)〕の仁兵衛(にへえ 31歳)が住んでいた裏長屋を借りた。
さっそくに、〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 34歳)と、その護衛役として岸井左馬之助(さまのすけ 24歳)が入居した。
所帯道具は、仁兵衛のものがそのまま残っていたので、布団をもう一組、損料屋から借りるだけですんだ。
〔墓火(はかひ)〕一味は、もしかすると、仁兵衛の逮捕も、牢内での自裁も気づいていないのではなかろうかと、彦十が言ったが、銕三郎はそれに賛意をしめさず、
「もう、知っているとおもっておいたほうがいいが、こちらは、仁兵衛がことは、まったく聞かないで空き店(だな)を借りたという態(てい)でいること」
「さいですか」
「それから、彦どの。連絡(つなぎ)の者は、千住方角か、北本所あたりから来るとおもっておくこと」
「承知しやした。が、なんで?」
「〔盗人酒屋〕の忠助どんの読みです」
「そういえば、忠助どんの店にも、しばらく、ご無沙汰しておりやす」
「この件が片づいたら、馳走しょう」
「待ってますぜ」
左馬之助には、くれぐれも彦十から目をはなさないようにと、念をおした。
〔墓火〕一味のことゆえ、彦十を攫って口をわらすこともを杞憂していたのである。
もちろん、銕三郎は、〔墓火〕の秀五郎(ひでごろう)がどういう首領かもしらない。
しかし、酒薦印づけ職の〔蛭田(ひるた)〕の善吉(ぜんきち)こと、午造(うまぞう)の殺し方から想像して、相当に手荒い一味とふんだのである。
ところが、彦十たちが移り住んだ3日目に、45,6の齢かっこうの老婦が訪ねてきた。
応対にでた彦十をみて、家を間違えたとおもったか、いったん戸口から外へ出、あらためて入ってきて、
「あの、どなたさんでしょう?」
「あっちは、3日めえに越してきた、太郎吉ってもんですが、だれにご用で---?」
おんなは、返事もあいさつもしないで、引きかえした。
彦十は、機転をきかせ、左馬之助に尾行(つ)けてもらった。
正解であった。
おんなは、御厩河岸で渡し舟にのったのである。
もし、彦十だったら、そこで尾行を見破られたろう。
左馬之助は、おんながきたときに顔をみられていない。
だから、渡し舟に乗りあわせても、尾行者とまでは気がまわらない。
左馬之助は、何くわぬ顔で、しきりに首をかしげているおんなを横目で観察した。
おんなが入っていったのは、北本所の中ノ郷竹町のしもた屋であった。
菅沼組に捉えられたのは、〔墓火〕の秀五郎の妾としては用ずみの、お末(すえ)であった。
もっとも、44,5歳のお末を、用ずみなどと呼んだということを、弥勒寺門前の茶店〔笹や〕の主・お熊(くま 46歳)が耳にしたら、それこそ怒りくるって、素っ裸になり、
「用が足せるか、たせないか、抱いてみてからいえ」
と怒鳴るであろう。
ま、裸躰はともかく、顔の皺をみると、柳原の夜鷹などよりも齢をくっていることはたしかだから、用をたしたがる男は滅多にいないとおもうが---。(歌麿『寄辻君恋』 美しすぎる夜鷹のイメージ)
それはともかく、村越筆頭が紙づつみを銕三郎の前においたとき、
「村越さま。捉えてから申しあげるのもなんですが、お末を釈放さなさる手だてをおかんがえいただけませぬか」
「なんと---?」
「お末を拷問におかけになると、仁兵衛の二の舞を演じましょう。さらに申せば、お末は盗賊の首領の妾であったことはありましたが、盗みに加わったという証拠はございませぬ。詮議が評定所までもちあがると、菅沼摂津守さまに傷がつくやもしれませぬ」
村越筆頭から銕三郎の申し分を聞いた菅沼組頭は、
「もっともである」
と、お末を召し放つにあたって、
「命びろいをしたのは、長谷川銕三郎どのという部屋住みの若衆のお蔭であることを忘れるな」
と言い渡した。
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