〔蓑火(みのひ)〕と〔狐火(きつねび)〕
掛川から相良、そして 相良港から便船で焼津への、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りゅう 30歳)との旅のあいだの会話から、銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、盗賊について、おもいもかけないほど多くの知識をえた。
もちろん、銕三郎から訊こうとしたことではないし、お竜も、仲間の秘密を教えるつもりはなかった。
ただ、つい、ぽろりともらした言葉のはしばしから、銕三郎が類推していった知識である。
盗(つと)めでむつかしいのは、狙った商店にいつ現金がたまっているかを見きわめることらしい。
商人は、現金のまま寝かしておくような間抜けなことはしない。
はげしく回転させ、その中で利をかせぎだしていく。
まあ、駿河町の越後屋三井呉服店がはじめた、掛け値なしの現金商売をならい、多くの店が「現金掛値なし」の看板をあげているが、店頭だけでのことが多く、常得意や客先への廻りのばあいは、どうしても節季払いになってくる。
江戸の大店は、地方卸しも少なくはなく、それらはほとんど年2回か3回の〆になりやすい。
だから、いつ、現金が金蔵にたまっているかを探り出すのが、軍者(ぐんしゃ)たちの腕の見せどころではある。
それには、店の手代以上の地位にある者を買収するか、色じかけでたらしこむか。
あるいは、引きこみをいれて調べるか。
それと、銕三郎が意外におもったのは、押しこむときよりも、金を奪って引き上げときのほうにより多くの注意をはらっていることであった。
押しこみが成功すると、つい、気のゆるみがでがちで、それで足がついたり、捕まったりするのだと。
そう言われてみると、武家の戦闘でも、勝ったにしろ、負け戦さにしろ、軍の引きどきがむずかしいと聞いている。
追ってくる敵を、適当にあしらいながら、なるべく損害を少なくするように退(ひ)くのは、よほどの戦さ上手でも工夫がいるらしい。
〔蓑火(みのひ)〕の喜之助(きのすけ 47歳)は、その引き上げの手ぎわが、なみたいていの盗賊がおよばないほど綿密に練られているので、これまでいちども失敗がなかった。
そのコツは、退き道を3つ以上練りあげ、一味を3組にわけ、それぞれに気のきいた組頭をおき、3つの退路を使って引きあげさせている。
退(の)き道がはっきりしないうちは、盗めもしない。
もちろん、盗み金(つとめがね)も3つにわけて、盗人宿まではこぶ。
〔蓑火〕の頭にくらべると、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 49歳)のやり方は大胆でそういう綿密に計算はせず、配下たちにまかせているところが多いようにおもうと。
というのも、〔蓑火〕一味には、一から鍛えあげられた配下がほとんどで、頭の命令が絶対である。
引きかえ、〔蓑火〕から〔狐火〕へ移籍して歳月の浅いお竜ではあるが、〔狐火〕では2人の息子がまだ育ちきっていないので、ほかで腕をみがいた手の者を期限つきで雇っているからのように見える。
もっとも、〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 53歳)とっつぁんは別だが。
そういえば、〔蓑火〕には実の男の子がいない。それだけに、したってきた若い子を育てるのであろう。
銕三郎は、自分の立場あてはめて考えてみた。
番方のなかでも毛並みのすぐれた両番(書院番士と小姓組番士)の家に生まれているから、つぎの役つきは、徒(かち)組頭か小十人組頭で、上がりは先手組頭---いずれにしても、親代々の組下の上にのっかることになるから、〔蓑火〕型でなく、〔狐火〕型に近い。
しかし、組下の者の信頼感からいうと、〔蓑火〕型のほうがまっとうな気もしないではない。
(ま、15年か20年先のことではあるが---)
【参照】2008年8月29日~[〔蓑火(みのひ)〕のお頭] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
2008年5月28日~[〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七] (1) (2) (3) (4)
【ちゅうすけのつぶやき】これまでもあちこちに記したが、『鬼平『犯科帳』に登場している盗賊400余人の〔通り名(呼び名とも)〕のうち、ほとんどは生地とおもわれる地名だが、なかに16人、鳥山石燕(せきえん)『画図百鬼夜行』から、池波さんが採っている。
鳥山石燕は、長谷川平蔵とほとんど同時代に生きていた画家である。
「百鬼夜行」は、その当時の日本人の心に棲んでいた妖怪像である。
だから、もしかしたら、史実の長谷川平蔵もその妖怪図を見ていたかもしれない。
同書を池波さんが愛好していることに気がついたのは、『剣客商売』巻2[妖怪・小雨坊]p203 新装p221で、『画図百鬼夜行』の書名を目にしたときである。
ただちに、区の図書館で同書を借りだしてしらべた。
結果、16人を探し出せた。
16人の中に、なんと、〔蓑火〕と〔狐火〕があった。
2枚の妖怪の絵を眺めてみて、池波さんが借りたのは〔通り名〕だけで、妖怪の性格ではないことがわかった。
しかし、読み手は、おどろおどろしい〔通り名〕から、それを名乗っている盗賊の性格まで連想しがちである。
そこで、この稿では、、『画図百鬼夜行』の絵とキャプション(添え書き)を明らかにして、2人の性格とは関係がないことを示そうとおもいたった。
語り部は〔中畑〕のお竜だが、彼女が生な形でお頭や組織のことを明かすはずがない。
彼女の言葉のはしばしを頼りに、銕三郎が組みたてたかたちをとった。
(注)絵には、妖怪をうきあがらせるために、若干の手をくわえている。
〔蓑火〕 田舎道などによなよな火のみゆるは、多くは狐火なり。この雨にきたるみの(蓑)の嶋とよみし蓑より火の出しは陰中の陽気か。又は耕作に苦しめる百姓の臑(すね)の火なるべし。
〔蓑火〕は「耕作の苦しめる百姓の臑(すね)の火」ともあるが、喜之助は、信州・上田の造り酒屋の生まれで、百姓家の子ではない。
だから、臑の火からとった〔通り名〕ではない。
〔狐火〕 みんな知っているからであろう、キャプションはない。夜中、里近くまでおりてきた狐が啼く。「コンコン」ではなく、ぼくの幼年時代の記憶では「ギャーギャー」であった。啼き声に、雨戸をそっと開けてのぞくと、小さな炎がちらちらと動く。「ああ、狐火だ」と納得してまた寝床へ入ったものである。
絵には狐が3匹描かれている。
2匹はいわゆる狐色の毛。真ん中の1匹は白---どうやら、これは雌らしい。
とすると、彼女をはさんでいる2匹は雄か。
狐火を口から吐いている2匹は、求愛の合図を送っているとしかおもえない。
そういえば、〔狐火〕の勇五郎は、小説の中だけでも3人の女性にそれぞれ子を生ませている珍しい子福者の盗人である。
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