〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代
菅沼組の筆頭与力・村越増五郎(ますごろう 48歳)から、酒薦印づけ職・午造(うまぞう 35歳)を殺害した〔墓火(はかび)〕の秀五郎(50がらみ)一味の探索をたのまれた銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、この事件を担当している与力と同心への顔つなぎを、まず、提案した。
【参照】2008年3月19日~[菅沼摂津守虎常] (1) (2) (3) (4)
「ごもっとも」
早速に、椎名陽介(42歳)与力と田口耕三(28歳)同心が呼ばれた。
じっさいに、遺体の検分に立ちあったのは田口同心である。
椎名与力は、先役・仁賀保組から引きついだ、〔墓火〕かかわりの手控え帳を見せてくれた。
それによると、午造に刺された〔佐江戸(さえど)〕の仁兵衛は、浅草阿部川で数珠づくり師に化けていたところを捉えられた。
(数珠職 『風俗画報』明治28年11月10日号 塗り絵師:ちゅうすけ)
仁賀保組のきびしい拷問にも口をわらず、3日目の夜、舌を噛んで自裁したと。
ついでに書いておくと、呼び名の〔佐江戸〕は、武蔵国都筑郡(つづきこおり)の村名である(現・横浜市都筑区佐江戸町)。
仁賀保組の小者が、佐江戸村まで身元調べに出張ったが、けっきょく、生家はわからなかった。
法恩寺の住職の話では、30年ちかくも前に村を捨てた何軒かのうちの一家かもしれないということでおさまったという。
遺骸は、罪人ゆえに鈴の森に捨てられた。
そのことを聞いたとき、銕三郎は顔色にはださなかったが、こころの中で合掌して成仏わ祈っていた。
辞去するとき、田口同心が町廻りにでるというので連れだち、三味線堀から蔵前のほうにあるいた。
火盗改メ・助役(すけやく)の菅沼組の受け持ちは日本橋から南と、深川・本所だから、田口同心は、きょうはどうやら、深川あたりの見回りをするつもりらしい。
陽は照っていたが、北風がきびしかった。
「田口どの。そこらでお茶でも---」
誘うと、<田口strong>耕三同心は、けっこうですな、と応じた。
三好町の茶店〔小浪〕へ入った。
田口同心の着流しに2本差し姿から、火盗改メと早くも察した小浪(こなみ 30歳)は、ふつうの客なみのあつかいをきめこんだ。
銕三郎が首をふって、
「小浪どの。こちらは、いいのですよ」
田口耕三のほうは、ぼうっとして、小浪の美貌にみいっている。
銕三郎には茶を、田口の湯呑みには酒を注いでだした小浪に、田口を引きあわせ、
「見廻りが深川・本所のときは、寄ってあげてください。女将どの。よろしく」
田口同心は、ぴょこりと立って、不器用にあいさつをし、湯呑みの中味が酒としると、また感心しきりであった。
「小浪どの。〔墓火〕の秀五郎というご仁に、耳覚えはありませぬか?」
銕三郎が、あまりに自然に訊いたので、田口同心はまたも目を見はった。
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