菅沼摂津守虎常(4)
「長谷川どのは、仁賀保内記さまのところの筆頭与力・大竹治兵衛(じへえ)どのをご存じかな?」
問うたのは、先手・弓の4番手、この9月下旬から冬場の火盗改メ・助役(すけやく)を命じられた菅沼組の筆頭与力の村越増五郎(ますごろう 48歳)である。
仁賀保内記とは、この3月まで火盗改メ・助役を務めていた先手鉄砲(つつ)の15番手の組頭・誠之(のぶゆき 60歳 1200石)がこと。
銕三郎(てつさぶろう 24歳)が応じた。
「いえ。お会いしたのは、与力の津山作之進(さくのしん 52歳)さまでした」
津山与力には、1番勝負で胴に棟撃ちをくらわせた浪人・千田某のことで差し紙(よびだし状)をもらって会った。
【参照】2008年12月21日[銕三郎、1番勝負] (1) (2) (3) (4) (5)
「おそらく、その津山与力どのから大竹筆頭どのへ報告があがったのでござろう。大竹筆頭からのご推薦のほかにも、長山(百助直幡 なおはた)さま組の佐々木筆頭与力どのからも、長谷川どのに助力をいただくようにといわれておりましたな」
「身にすぎたご推薦です。拙は、摂津組頭さまからあそびにこい---とお誘いをいただきましたもので、図々しくまかりでました」
「お頭からも、そう、うかがっておりました」
大竹筆頭が持ちかけた頼みごとは、 殺された酒薦(さかごも)印(いん)づけ職の午造(うまぞう )の犯人捜しであった。
殺人は火盗改メの任ではなく、町奉行所の受け持ちでは---銕三郎が不審を述べると、村越筆頭は苦笑しながら、仁賀保組から引きついだ密偵なのだと打ちあけた。
午造というのも密偵になったときにつけた仮の名で、捕縛されたときは、〔蛭田(ひるた)〕の善吉(ぜんきち 33歳=当時)であったと。
「〔蛭田〕という〔通り名(呼び名)〕からも察しがおつきでしょうが、武蔵国埼玉郡(さいたまこおり)の代官支配地・下蛭田村の小農の3男で、幼いころからの絵ごころを買われて、越後の酒薦印づけ屋へ引きとられたらしいのですが、賭けごとに手をそめたために追い出されて行きづまっていたところを、蛭田に近い粕壁村(現・埼玉県春日部市)出の盗賊の首領・先代の〔墓火(はかび)〕の秀五郎(ひでごろう)にひろわれたらしいのです」
【参照】『鬼平犯科帳』ファンなら、〔墓火〕の秀五郎という名を目にしただけで、文庫巻2[谷中・いろは茶屋〕で、娼妓お松に、ぽんと10両わたして「この金を好きな男(ひと)のためにつかっておくれ」と言った50男を思いうかべよう。
そう、「人間という生きものは、悪いことをしながら善(よ)いこともするし、人にきらわれることをしながら、いつもいつも人に好かれたいとおもっている---」との人生訓を垂れた〔川越さん〕である。
[谷中・いろは茶屋]の〔墓火〕は2代目で、銕三郎の時代のそれは初代である。
午造は、もちろん、もともとが印づけ職だから、盗みの技(わざ)などはもっていない。
〔墓火〕が目をつけたのも、酒薦印づけの手練であった。
江戸では、料亭などが縁起と景気づけに、自店の屋標(店紋 マーク)と店名を描いた薦樽を店前に積みあげることが流行っていた。
善吉への注文はとぎれることはなかった。
善吉は、料亭となじみになって、内証(ないしょう)の重軽、出入り客のふところ具合を〔墓火〕一味へ報らせ、押し入り当日は見張りにたっていたのである。
だから、簡単に捕まった。
で、連絡(つなぎ)の〔佐江戸(さえど)〕の仁兵衛(にへえ 31歳)を差して罪をゆるされ、名を午造と変えたが、生活(たつき)はあいかわらず酒薦印づけをしていた。
午造のゆえんは、「蛭田」---「ひるた」---「昼だ」---昼(正午)は午(うま)の刻(こく)としゃれたのである。
住まいも粕壁とは方角が逆の、東海道すじの高輪・車町の裏長屋に変えた。
まあ、酒樽薦印づけ仕事は、ひろげた薦を載せる台があれば、薦の四隅をとめ、あとは絵ごころ次第だから、裏長屋の居職ですむ。
(酒薦印づけ職 『風俗画報』明治29年10月20日号
塗り絵師;ちゅうすけ)
これで〔墓火〕一味の目をごまかせるとふんだ、火盗改メ方の読みが甘かった。
居職とはいえ、印づけをしおわった薦を大八につんで元請けのところか酒屋へとどけたり、注文主の披露祝いに招かれたりで顔をさらすこともないではない。
しかも、酒薦印づけという特殊な職業である。
〔墓火〕一味としては、網をせばめやすい。
「午造の遺体が発見されたのは?」
「二本榎の細川越中どのの中屋敷のはずれ、樹木谷の草むらで---」
昼でも鬱蒼とくらい樹木谷は、語呂合わせで、地獄谷の異称がある。
「拙がお手助けすることは?」
「いうまでもない。午造の口を封じた〔墓火〕一味の尻っ尾をつかんでいただきたい」
「町方の十手持ちのような仕事ですな」
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