銕三郎、一番勝負(5)
「拙が生まれました赤坂築地中ノ町のような台地の端と違って、このあたり---本所、深川には、坂がございませぬ。脚力を鍛えるには、坂の上り下りにしくはないと聞いております。それで、庭の奥に坂にかわる階段を設けて、毎朝、上り下りをするつもりなのです」
銕三郎(てつさぶろう 23歳)が、腕の筋肉を鍛えるために、高杉銀平師の教えにしたがい、毎朝、振り棒をふっていることは、すでに記した。
【参照】振り棒については、2008年6月12日[高杉銀平師] (3)
2008年8月25日[若き日の井関録之助] (4)
「妙案かもしれぬな。坂の上り下りのコツは、銕(てつ)の奇妙な盟友---〔風速(かざはや)〕とか申したな---」
「権七(ごんしち 36歳)でございます」
「箱根の荷運びであったな」
「さようでございます」
「坂のこなし方も心得ていよう。人には、得手(えて)、不得手がある。得手のことを訊かれると、だれでも嬉しくおもうものだ。一生、忘れない」
父・平蔵宣雄(のぶお 50歳)の的を衝(つ)いたこころ遣いは、銕三郎にとっては、なにものにも替えがたい教訓である。
反発する年齢は、とうに過ぎている。
板づくりの階段は、3日とおかずに完成した。
宣雄の発案で、片側には頑丈な手すりがつけられた。
「人間、齢は足から取っていく。われも妙(たえ 43歳)も、暇をみて上ることにした。そのための手すりじゃ」
銕三郎は、さっそくに権七にきてもらい、箱根の荷運び流の坂こなし術を、手をとって---いや、脚をとるようにして教わった。
権七によると、なるべくかかとをつけないようにするのがのは上るときの心得。
下るときは逆に、かかとから踏みだしていく。
また、足元を見ないで、目線の高さの前方を見るようにして上ると疲労が少なくてすむとも。
権七に教わっている銕三郎を、老下僕・太作(たさく 62歳)が目をほそめて見守っていたが、
「どれ、一つ、太作めにもやらせてくださりししたませ」
しっかりした足取りで、10回ものぼりおりしたろうか、突然、腰を手でかばって、へたってしまった。
「大丈夫か、太作?」
「若。もう、いけません。齢はとりたくないもの」
権七が、太作の腰のどこかをどんどんと三つ四つたたくと、しゃんと背がのび、
「ああ、楽になりました」
「荷運び雲助流のあんま術です。長谷川さまも、上り下りで腰がつかれたら、ここをどんどんとおやりください」
腰のあたりの背骨の位置を教えた。
そして、言った。
「長谷川さま。のぼりおりしていて、ふくらはぎが痛くならなかったころあいが、箱根の荷運び雲助としての、一人前です」
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