〔墓火(はかび)〕の秀五郎・初代(3)
同心・田口耕三(28歳)とは、両国橋の東詰で別かれた。
銕三郎(てつさぶろう 24歳)は、竪川ぞいに三ッ目ノ橋まで行き、屋敷へ帰ると断ってから、
「田口さま。〔佐江戸(さえど)〕の仁兵衛(にへえ 31歳)が、御厩河岸の渡しを使っておいて、深川の同郷の者と会っていると、わざわざ小浪(こなみ 30歳)に告げているのは、〔墓火(はかび)〕一味の盗人宿(ぬすっとやど)を隠すためかともおもわれます。もしやしたら、盗人宿は---竪川(たてかわ)ぞいの相生町、もしくは北本所の番場町あたりにあるのかもしれませぬ。あのあたりの辻番所なり木戸番をおあたりになってみてはいかがでしょう?」
「一つの目安ですな」
田口同心は、回向院のほうへ向かった。
それを見さだめた銕三郎は、一ッ目ノ橋を南へわたり、弁天社裏の裏長屋で〔相模(さがみ)〕の彦十(ひこじゅう 34歳)を呼び出し、二ッ目ノ橋東詰の軍鶏なべ〔五鉄〕へ誘った。
入れこみの奥の卓で、まず、酒をすすめ、
「命がけの仕事があるのだが---」
「こんな命でよければ、銕(てつ)っつぁんに差しあげまさあ」
力む彦十に、
「いや。むざむざとは死なせはせぬ。左馬(さま 之助 24歳)さんが 守護をする」
仕事は、浅草阿部川町の法成寺脇、〔佐江戸〕の仁兵衛が数珠職として住んでいた裏長屋に、新たな店子として浪人・岸井左馬之助とともに引越し、訪ねてきた者を尾行(つ)けて行き先をつきとめることで、手当ては日に1朱(約1万円)ときまった。
銕三郎のもくろみは、仁兵衛が捕縛されてからまだ7日夜と経ていない。
〔墓火〕一味の中には、仁兵衛の捕縛を知らされていない者もいるはず、と推察したのである。
<とりあえずの手当て1分(約4万円)をstrong>彦十へ渡し、鍋は彦十に残し、三次郎(さんじろう )には、彦十にあまり呑ませるなと言いおいて、押上の春慶寺へ向かった。
春慶寺の離れから、岸井左馬之助と連れだち、四ッ目ノ橋に近い〔盗人酒場〕へむかう。
道中、火盗改メ・助役(すけやく)の組頭・菅沼摂津守(虎常 とらつね 55歳 700石)のところの筆頭与力・村越増次郎(ますじろう 48歳)からたのまれた、酒薦印づけ職・午助(うますけ 34歳)の口封じの殺し捜しの一件に、用心棒がいるのだと話した。
「新妻をほったらかして、捕り物にうつつを抜かしていていいのか?」
その左馬之助の耳へそっと、
「じつは、久栄が身ごもったらしい」
「らしいって---銕さん」
「いや。で、ちと、控えめに---と、母者から言われてな」
「そういうこともあるんだ」
一人暮らしをしている左馬之助には、夫婦の機微は、まだ、察しがつかない。
〔盗人酒屋〕には、客が幾客もいて、〔鶴(たずがね)〕の忠助は板場へこもりっきりで、客席のほうは、おまさ(12歳)がひとりできりもりしていた。
ちろりと肴を配膳したおまさに、
「いいか?」
銕三郎が、目で板場を指した。
「ちょっとのまなら」
左馬之助の相手をおまさにまかせ、板場へ入った。
「〔墓火〕のところの〔佐江戸〕のが、菅沼組の牢内で、舌を噛み切って果てた」
低い声でささやく。
忠助は、包丁の手もとめずに、
「見事な---いまどき、筋の通ったのが少なくなりやしたからねえ」
{佐江戸〕のを吐いた嘗役(なめやく)もどきの軽い者(の)が、助役方の見廻り地内の地獄谷で口封じをされたこと、菅沼組としては、町方への意地もあって、いきにえを一人あげないではすまないことを、手短に話すと、銕三郎を見ないで忠助がつぶやくように言う。
「粕壁から江戸へのとば口は、北千住のほかに、四ッ木から向島の筋もありやすからねえ」、
銕三郎は、忠助の背中をぽんと叩いて、板場をでた。
見送った忠助が、初めて、小さく笑った。
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