〔稲荷(とうが)〕の百蔵
『鬼平犯科帳』文庫巻11に収められている[雨隠れの鶴吉]で、鶴吉の実家---日本橋・室町2丁目の茶問屋〔万屋〕源右衛門方に狙いをつけた盗賊の首魁〔稲荷(とうが)〕の百蔵は、配下の〔貝月(かいづき)〕の音五郎を飯炊き男として引き込みに入れた。
(参照: 〔雨隠れ〕の鶴吉の項)
(参照: 〔貝月〕の音五郎の項)
年齢・容姿:どちらも記述がない。
生国:下総(しもうさ)国香取郡(かとりこうり)稲荷山(とうかやま)村(現・千葉県香取郡大栄町稲荷山)。
ちゃんとした稲荷社だけでも全国に約12万社あるといわれている。だから、〔稲荷〕なんて「通り名(呼び名)」は、「追分(おいわけ)」と同じで、生国隠しに使われる。しかし、百蔵のばあいは、(とうが)とルビがふられているので、(いなり)を除けた。もっとも、あったのは(とうかやま)である。
テリトリーが上州と武州とあるから、香取郡の稲荷山村に落ちつけた。
ここの稲荷はかつて久井崎城内にあったので 、多古町東松崎と佐原市佐原字岩ヶ崎の稲荷神社とあわせて香取郡三崎稲荷と親しまれたという。
江戸の小網町の裏の稲荷堀は(とうかんぼり)と読む。小網町は池波さんが丁稚として勤めた兜町に近い。
探索の発端:鶴吉の年上女房・お民が〔野槌(のづち)〕の弥平の下にいたとき、〔貝月〕の音五郎もいっしょだった。それで見つけて鶴吉に話し、鶴吉少年時代に可愛がってくれた井関録之助へ打ち明け、録之助から鬼平へ話が通じ、火盗改メの監視がはじまった。
(参照: 女賊お民の項)
(参照: 〔野槌〕の弥平の項)
音五郎を尾行(つ)けて、2軒の盗人宿もつきとめられた。
結末:一味24名が〔万屋〕へ押しこんできたところを全員逮捕。
つぶやき:日本橋・室町2丁目の茶問屋〔万屋〕源右衛門だが、いまでも室町のあのあたりには茶問屋の老舗がのこっている。江戸時代、茶問屋は呉服・太物問屋、薬種問屋についで格式が高かったようだ。
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コメント
井関録之助が「物事には、いちいち理屈をつけるものではない。・・・・・どうも得てして理づめに生きたがるのがおかしい」と云ってますが
鬼平犯科帳には、さらりと「人生訓」がちりばめられていて、読み応えがあります。
投稿: みやこのお豊 | 2005.08.20 11:42
稲荷という名前の付く地名を〒番号CD-ROMを使って調べてみました。102ヶ所の地名が掲載されている中で稲荷を[とうか]と読む地名は下記の5ヶ所でした。
〒272-0024 千葉県市川市稲荷木[とうかぎ]
〒287-0233 千葉県香取郡大栄町稲荷山[とうかやま]
〒370-3516 群馬県群馬郡群馬町稲荷台[とうかだい]
〒371-0824 群馬県前橋市稲荷新田町[とうかしんでんまち]
〒836-0822 福岡県大牟田市稲荷町[とうかまち]
投稿: 新兵衛 | 2005.08.20 12:23
>新兵衛さん
熊野市へは2年ほどまえに行ったことがあります。たたずまいがすてきな街ですね。
しかも、熊野権現を奉じて、日本中へ進出していますから、小盗っ人なんか、似合いません。
来月、長谷川家が長者になっており、城主でもあった焼津の熊野権現について、調べに行きます。長谷川家が勧請したのだそうです。
いまは焼津神社の管理下にあるので、そこの神職さんに話をきく予定です。
投稿: ちゅうすけ | 2005.08.22 17:05