〔牛久保(うしくぼ)〕の甚蔵
『鬼平犯科帳』文庫巻14に収録されている[浮世の顔]で、板橋の上宿のほうからやってきて、ちらっと姿を見せたところを、いまは密偵になっている〔大滝〕の五郎蔵に見かけられる。
五郎蔵の鬼平への甚臓評。「むかし、二度ばかり、私の盗めに使ったことがございます。はい、一人ばたらきのしっかりした男で、ずいぶんと役には立ちましたが、どうもその、肚(はら)の底が知れねえような気がいたしまたので----それっきりになったのでございます」
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
年齢・容姿:50を越えている。容姿は記述されていない。
生国:武蔵(むさし)国都筑郡(つづきこうり)牛久保村(現・埼玉県坂戸市善無能寺)
江戸時代の牛久保村は、善能寺村の北東にくっつくようにしてあった小村という。戸数5軒、田21石余、畑7石というから、ほんとうに小さな貧しい村だったにちがいない。いつのまにか善能寺村にのみこまれてしまっていた。
そんな土地で育った甚蔵が、めったに腹の底を他人には見せない男に育ったのもなんとなくわかるような気がする。
それよりも気にかかるのは、小さくて村名名も消えてしまったような村を、池波さんはどうやって知ったかである。
探索の発端:石神井川に架かる板橋をわたった甚蔵が川ぞいに右へ折れて、突当りの旅籠〔上州屋〕へ入っていったことから、そこが5年ほど前から〔神取(じんとり)〕の為右衛門の盗人宿に変っていたのである。
(参照: 〔神取〕の為右衛門の項)
結末:[神取(じんとり)〕の為右衛門の項に記したとおり、一味18名が、深川の上大島町の釘鉄銅物問屋〔釜屋〕へ押し入ろうとしたところを、40人を動員して網をはっていた火盗改メが捕らえた。うち、抵抗した5名は斬殺。
つぶやき:〔帯川(おびかわ)〕の源助と、〔門f原(もんばら)〕の重兵衛の現地取材で、長野県下伊那郡阿南町を訪れたとき、「牛久保」という地名銘板をみかけた。しかし、『旧高旧領』にも載っていない地名なので、逡巡のすえ、坂戸市をとった。
(参照: 〔帯川〕の源助の項)
(参照: 〔門原〕の重兵衛の項)
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