〔神取(じんとり)〕の為右衛門
『鬼平犯科帳』文庫巻14に収められている[浮世の顔]で、兇盗の首魁として顔を見せるのが[神取(じんとり)〕の為右衛門である。本拠は上州・高崎に置いている。
この篇では、口合人の〔鷹田(たかんだ)〕の平十の手をとおして、流れづとめの〔藪塚(やぶづか)〕の権太郎(30がらみ)と〔三沢(みさわ)〕の磯七(40すぎ)を一味に加えたために、火盗改メが動くことになった。
(参照: 〔鷹田〕の平十の項)
(参照: 〔藪塚〕の権太郎の項 )
年齢・容姿:年齢の記述はない。見るからにふいぶてしい容貌。
生国:甲斐(かい)国巨摩郡(こまこうり)上神取(かみじんとり)村(現・山梨県北巨摩郡明野村上神取)
陸前(りくぜん)国桃生郡(ものうこうり)神取村もあるが、こちらは(かみとり)と読む。池波さんは(じんとり)とルビをふっている。
探索の発端:江戸の西北はずれの滝野川で、武士と商人風の死体が見つかった。うち、商人風の男が血をみることもいとわない急ぎばたらきの〔藪塚〕の権太郎であることを、〔大滝(おおたき)〕の五郎蔵が気づいた。
(参照: 〔大滝〕の五郎蔵の項)
権太郎の人相書を、いまは亡き〔鷹田(たかんだ)〕の平十の古女房に見せると、権十郎の雇い主とつなぎをつけるために出かけた平十が、陽が暮れてから帰宅したことを思いだしたので、探索は滝野川と土地つづきの板橋宿にしぼられた。
板橋の駅(『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
石神井川(しゃくじいがわ)にかかる板橋をわたったたもとの茶店で休んでいた五郎蔵が、通りかかった盗人〔牛久保(うしくぼ)〕の甚蔵(50すぎ)を見かけ、尾行(つ)けていくと、小さな旅籠〔上州屋〕へ入った。
〔上州屋〕を見張り、ほかの2軒の盗人宿も知れた。
結末:[神取(じんとり)〕の為右衛門一味18名が、深川の上大島町の釘鉄銅物問屋〔釜屋〕へ押し入ろうとしたところを、40人を動員して網をはっていた火盗改メが捕らえた。うち、抵抗した5名は斬殺。
つぶやき:石神井川ぞいの旅籠〔上州屋〕が盗人宿であることは、5年前に代替わりしたことと、牛久保の甚蔵が宿泊していることでわかったが、その持ち主が[神取(じんとり)〕の為右衛門であることは、どうやって探索できたのだろう?
捕縛後に判明したのなら、納得がいくが---。
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