〔小浪(こなみ)〕のお信(のぶ)(2)
いっときより日は長くなりつつはあるが、暮れ六ッ(午後6時)まで1刻(とき 2時間)近くもあった。
どこで時間をつぶすか、蔵前通りから神田川にかかっている浅草橋をわたり、両国橋西詰の広小路へ出てしまった。
あいかわらずの人出であった。
〔耳より〕の紋次(もんじ 34歳でも呼び出してお茶でも---と考えたところで、お幾(いく 31歳)とかいった美形の女将がやっている並び茶屋の前にきてしまった。
【参照】2010年7月15日[〔世古本陣〕のお賀茂] (4)
女将のほうが平蔵(へいぞう 32歳)を認めた。
「いつぞやはどうも。お立ち寄りくださいませ」
声につられて、ふらふらと腰をおろしていた。
(長い非番に馴れていないからだ。たかが2ヶ年出仕がつづいただけで、このざまとは---)
「去年の初夏の、日光さまへのお行列、みごとでございましたね」
「うむ」
「お武家さまは、いらっしゃらなかったのでした」
「そうだ」
「もしや---と、お探ししたのでございますよ」
「骨折り損をさせたな」
「いいえ。お忘れにならないで、こうして、いらっしゃってくださったのですもの」
(同様な台詞(せりふ)を2度も耳にした。茶店の30おんなに流行っているのかな)
「きょうは、お城はお休みでございますか?」
「きょうだけではなく、ずっと休みなんだ。食わしてくれるか?」
「ご冗談ばっかり。ご浪人さんが、そんなにきちんとした服装(なり)をなさっているはずはありません」
「やはり、見る目がちがうな」
「ほんとうに長いお休みなら、うちで寝食をなさいますか?」
「本気にしていいのかな?」
「本気だと申しあげたら、どうなさいます?」
「子が3人いるぞ」
「ちょうど、4人ほどほしいとおもっていました。この齢で4人も産むのは無理。でも、1人ならなんとか---」
「本気になりそうだ」
「私は、本気でございますよ」
手を平蔵の袴にあててゆすった。
「そう、簡単に本気になってはいかぬ」
「紋次さんからすすめていただきます」
「おいおい---」
客商売用のざれ言葉とわかってはいても、紋次の名がでた分、あとが面倒だ。
ざれごとから本気になった例も少なくはない。
平蔵は、1朱(1万円)ほどを置いて退散したが、内心では、あれほどの美形の女将の食客になるのも悪くはないと、とんでもないおもいを反芻し、
(32歳にもなって、つまらない空想を楽しむでない)
自分を叱りつけた。
御厩河岸へ向うと、左手はるか遠くの本郷台地の空が夕焼けで橙色から深紅に染まっていくのが望めた。
(桜花も近いな。せっかくの休み中、子どもたちといっしょの花見も悪くない)
茶店〔小浪(こなみ)〕は、お信(のぶ 36歳)が独りで板戸を立てまわしていた。
横から見だと、腰まわりには齢なりの肉がついているのが目にとまった。
雑司ヶ谷の料理茶屋〔橘屋〕に女中として預けたをお仲(なか 34歳=当時)の裸体の豊かな肉置(ししお)きをおもいだした。
「ご覧になっていないで、あと2枚ですから、助(す)けてくださいな」
お信の言葉づかいすがなれなれしいのに変わっていたのが気になったが、刀を腰からぬき、腰掛けの毛氈の上に置き、最後の1枚を2人ではめた。
くぐり戸から中へ入ると真暗であった。
馴れているお信が平蔵の手をとり、腰を支えて腰掛けまでみちびき、肩に両手をかけて座らせ、そのひざに腰をおとし、口を吸った。
平蔵の手が背中へまわると、しばらく舌でたわむれてから、
「ずっと、こうしてみたかったのです。ごめんなさい。いま、灯をつけます」
火鉢から付け木へ移した炎で蝋燭をともした。
お信の大きな影が壁に映った。
「夕餉(ゆうげ)は、どこか外で摂りますか、それとも私の家で?」
「お信どのの家へ随(つ)いていっても差し支えはないのか?」
「差し支えがあるなど、とどうしてお勘ぐりになったのですか?」
「なんとなく---許せ」
蝋燭を提灯に立て、くぐり戸の戸締まりをした。
「どこに住んでいるのだ?」
「すぐ、そこ。店はお役所のものてすから、住いのほうは私が小浪さんから買ったのです」
蔵前通りを横切り、框(かや)寺(現・台東区蔵前3丁目22)裏---あの仕舞(しもう)た家であった。
お竜(りょう 享年33歳)と睦んだことがあった。
【参照】2009年1月1日~[明和6年(1769)の銕三郎] (1) (2) (3) (4)
しかし、いまさら、ほかにしようとはいいだしにくかった。
部屋の雰囲気は、すっかり変わっていた。
お信には、部屋を整える才能があるらしかった。
【参照】2010年9月1日~[〔小浪(ひなみ)〕のお信] (1) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
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コメント
[不入斗 いりやまず]って、どういうことからついた地名なんでしょう?
あちこちにあるということは、入会地とか、そういったことから転じたのかしら?
投稿: tomo | 2010.09.03 05:32
>tomo さん
ネットで調べた『いちはら地名辞典』をコピペします。
「不入斗」の由来は諸説あるようです。
一般的な由来は、古代の人々が谷間の入り口を「入山瀬(いりやませ)」と称していたところから。
それが次第になまって「いりやまず」となったといわれています。
山がちな地形ということなのでしょう。また、昔、神社への献用地とされていた土地のことで、税の対象にならないところから「不入計(いりよまず)」と呼ばれていたという説もあるようです。
そういうことだと、お信が「お足はいただきません」と言ったのは、偶然にしても故事にかなっていたわけで、お信の村では、故事が語りつたえられていて、お信は押さないときに聞きかじっていたのかも。
投稿: ちゅうすけ | 2010.09.03 06:32