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2009.01.03

明和6年(1769)の銕三郎(3)

裏の小じんまりした庭に植えられたいる南天の赤い実にも、夕闇がかぶさりかかっている。
七ッ(午後4時)すぎであろう。

「お(りょう)どの。先刻のお先手組頭の名前ぞろえだが、明細の末に、小さな〇やら△、×の印がついていたのは?」
「ちょっとしたこころ覚えですから、お気になさらないで---」
_150
(30歳)は、薄い肌着を羽織り、ちろりを燗するために立ちながら、銕三郎(てつさぶろう 24歳)の問いかけをはぐらかそうとした。
「そう言われても、気にかかるものは気にかかる」(清長 お竜のイメージ)

名前書きした紙を引き寄せ、坐りなおした銕三郎は、真剣に眺めいっている。
「そんな怖い顔をなさらないで。お風邪を引きます。掻巻(かいまき)を---」
「うむ」

「燗がつきました。お受けになって---」
自分も掻巻に腕を通したおが、すすめるが、銕三郎は杯も手にとらず、注視している紙から目を放さない。

「では、お教えしますが、伝授料をお払いくださいますか?」
「拙が払えるほどの高ならば---」
(てつ)さまなら、お払いになれます」
「では、払います」

明和6年(1769)初春現在の、弓組の組頭。
番手(居屋敷)
(氏名 年齢 禄高 この年までの在職あしかけ年数)

弓組
1番手(小石川七軒町) 
 松平源五郎乗通のりみち)  75歳  300俵 17年め
2番手(神田元誠願寺)
 奥田山城守忠祇(ただまさ)  61歳  300俵  7年め
3番手(芝愛宕下三斉小路)
 堀 甚五兵衛信明(のぶあき) 60歳 1500石 10年め
4番手(下谷御徒町)
 菅沼主膳正虎常(とらつね)  55歳  700石  4年め
5番手(木挽町築地門跡後)
 能勢助十郎頼寿(よりひさ)  68歳  300俵  3年め
6番手(市ヶ谷加賀屋敷)
 遠山源兵衛景俊(かげとし)  62歳  400石  7年め
7番手(一番町新道)
 長谷川太郎兵衛正直まさなお>)60歳1470石  9年め
8番手(南本所三ッ目通)
 長谷川平蔵宣雄(のぶお)   51歳  400石  5年め
9番手(田安二合半坂下)   
 橋本河内守忠正(ただまさ)   59歳  500俵  3年め
10番手(市ヶ谷清泰院殿上地)
 石原惣左衛門広通(ひろみち) 77歳  475石  4年め

明和6年(1769)初春現在の、鉄砲組の組頭---。
番手(居屋敷)
(氏名 年齢 禄高 この年までの在職あしかけ年数)

1番手(小川町火消屋敷通り) 
 寺嶋又四郎猶包(なおかね)  81歳  300俵 12年め
2番手(南本所菊川町)
 松田彦兵衛貞居さだすえ)   62歳 1150石  3年め
3番手(小石川門内)
 井出助次郎正興(まさおき)   71歳  300俵 10年め
4番手(赤坂築地中ノ町)
 長山百助直幡なおはた)     58歳 1350石  5年め     
5番手(一番町堀端)
 永井内膳尚尹(なおただ)     72歳  500石  9年め
6番手(四谷刈豆店)
 鈴木市左衛門之房(ゆきふさ)  74歳  450石 16年め
7番手(本郷弓町)
 諏訪左源太頼珍よりよし)    63歳 2000石  6年め
8番手(本所南割下水)
 有馬一馬純意(すみもと)     71歳 1000石 10年め
9番手(麻布竜土下)
 遠藤源五郎尚住なおずみ)    53歳 1000石  4年め
10番手(駿河台下)
 石野藤七郎唯義ただよし)     61歳  500俵  2年め
11番手(下谷池端七軒町)
 浅井小右衛門元武>(さだあきら)   60歳  540石  5年め
12番手(石原片町)
 徳山小左衛門貞明(さだあきら)  54歳  500石  3年め
13番手(小石川白山鶴ヶ声久保裏通)
 曲渕隼人景忠かげただ)      64歳  400石 10年め
14番手(高田牧野備後守上地)
 荒井十大夫高国たかくに)     61歳  250俵  4年め
15番手(愛宕下神保小路)
 仁賀保兵庫誠之のぶざね)     58歳 1200石  3年め
16番手(牛込山伏町)
 石尾七兵衛氏紀(うじのり)      60歳 2200石  2年め
17番手(小川町裏猿楽町)
 松前主馬一広かずひろ)      47歳 1500石 17年め
18番手(裏六番町方眼坂)
 市岡左衛門正軌(まさのり)     76歳  500石 14年め
19番手(本所林町4丁目)
 仙石監物政啓(まさひろ)       76歳 2700石 17年め
20番手(四谷伝馬町3丁目裏通)
 福王忠左衛門信近(のぶちか)    77歳  200石 16年め

「早く、絵解きしてほしい」
「ま、おささ(酒)でもお召しあがって---」

は、じらすように、酒をすすめる。
銕三郎が、杯も手にとらないで、書付を注視しているので、あきらめたか、
「お組頭衆のお勝手向きです」
「なに?」
「お内証のお具合---」
「どうして、そんなことが分かるかな?」

(てつ)さまは、師走のお初お目見(みえ)に、お役つきのどなたとどなたへお礼廻りをなさいました?」
「ご老職(老中)、ご少老(若年寄)衆と、月番のご奏者番であった久世(くぜ)出雲侯---」
「それだけでございましたか?」
「いや。奥祐筆の組頭のお2人にも---」
2人の組頭とは、臼井藤右衛門房臧ふさよし 58歳 150俵)と橋本喜平次敬惟ゆきのぶ 48歳 150俵)である。

参照】2008年12月17日[「久栄の躰にお徴(しるし)を---」] (2)

「お礼の品は、どなたにお渡しになりましたか?」
「用人どのへ---」
「これで、お分かりでございましょう?」
「えっ?」
「先手組のお頭衆の役高は1500石---といいましても、お内証の具合はさまざま。奥のご祐筆さまへのお届けもののお値打ちもそれぞれ」

「なんと、用人どのに手をまわした?」
「いいえ。その下の者でも、音物(いんもつ 贈り物)手控え帖をのぞけます」
「〇は?」
「算用にかなり長(た)けたといいましょうか、見得よりもお内証にいつわりのないお家。長谷川さまはお〇」

が打あけたのは、ほぼ10年分の節季々々の音物の質量が、豊年と不作の年にあわせて増減させている家が〇なのだと。
家禄以上に見得を張ったものを、知行地の成りものの出来いかんにかかわらず贈ってくる家が×。
頼みごとのあるときだけ持参する家は△。

ちゅうすけのことわり書き】現存していらっしゃるお家も多いはず。さしさわりがあろうかと、〇、△、× 印を削りました。

「あきれた、軍者(ぐんしゃ)どのだ」
「ほ、ほほほ。さ、おささ(酒)を召して、伝授料をしっかりおはらいくださいませ」
掻巻を脱ぎすてたおが、床に横たわった。

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