明和6年(1769)の銕三郎(4)
「銕(てつ)さま。〔荒神(こうじん)〕の助太郎の消息がお分かりになったら、どうなさいます?」
寝床の中で、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 30歳)が、銕三郎(てつさぶろう 24歳)の乳首を小指の先ではじくようにもてあそびながら訊いた。
銕三郎が伝授料を払い終わっての、けだるいひとときであった。
「見かけたのか?」
銕三郎が、おもわず身をおこす。
「風が入りますから、伏せったままでお聞きくださいませ。いいえ、見かけたのではありません。ご府中でのお盗(つと)めの手順が、〔荒神〕組のそれのようにおもえるだけですが---」
【参照】[〔荒神〕の助太郎] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
駿府(静岡)城下・呉服町の小間物の老舗〔五条屋〕が襲われた。
店は、人宿(ひとやど)通りとの角にあり、呉服町通りに面した側では京から仕入れた簪(かんざし)などの装身具のたぐいを、人宿通り側では京扇と袋ものを商っていた。
賊たちは、人宿通りから通じている猫道の台所口の戸締りの落とし桟(さん)のところを、鋭利な刃物で小さく切りとり、桟をあげて侵入した。
戸板を切りひらくときに濡れ手ぬぐいを何枚もかさねてあてて戸板を湿らせ、音を消しているのと、全員の胃の下の急所を棒で突いて気絶させてから、金蔵の鉄の錠前を金鋸で切り破っているところ、竃(へっつい)の上に新しい荒神松を飾って引きあげたところが、それである。
「ややを背負った女賊はいなかった?」
「〔瀬戸川(せとがわ〕の代役からは、そのことは聞いていません」
「〔瀬戸川〕の源七どのは、いま、江戸に?」
【参照】[〔瀬戸川〕の源七] (0) (1) (2) (3) (4)
「そのことは、銕さまでも、あかすわけにはまいりません」
「そうであったな。いや、せんないことを訊いてしまった。許せ」
「いいのです」
いきなり、お竜がかぶさってきて、耳元で、ささやいた。
「勝(かつ 28歳)ともども、しばらく、江戸を離れます。お頭からのお指しずです。どこへ行くかは、お訊きにならないでください。胸がいたみますから」
「いつ、発(た)つ?」
「明朝---」
「四谷口か。本郷追分か。それとも高輪口か?」
高輪口、を口にしたとき、上に乗っていたお竜の下腹がかすかに揺れたのを、銕三郎は感知した。
「どのぐらいのあいだ、ご府内を留守にする?」
「多分、あのお方に、ややがおできになったころ」
「そうか。お竜の軍学を、もっと習(さら)っておきたかった」
翌朝---明け六ッ(午前6時半)すぎ。
永代橋の上で、手をふっている銕三郎に、小舟の上からお竜とお勝も手拭いをふって応じていた。
舟が橋をくぐると、銕三郎は、川下側の欄干へ移って、なおも手をふった。
お竜も橋の上の銕三郎の姿が石川島岸にもやっている帆船群と木立にさえぎられるまで、懸命に手拭いをはためかせ、そのまま双眸にあて、しばらく嗚咽していた。
そのことを、銕三郎はしらなかった。
杭上で休んでいた都鳥が怪訝そうなに眺めているだけであった。
(永代橋 『江戸名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
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