〔荒神(こうじん)〕の助太郎
さて。こちらは東海道を上っている長谷川銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以 のぶため)と太作である。
箱根の山道を登っている。
昨夜は、小田原城下の宮の前、本陣・保田利左衛門方へ宿泊した。
案内された部屋からは、北西のほうに樹々の間から小田原城の天守閣が望めた。
手前の松の巨樹は総鎮守・松原神社のものだ。
(宮の前の町名になっている総鎮守=松原神社)
太作に断っておいて、参詣に行ってみた。
東向している拝殿までの参道を、松の巨樹が囲んでいる。
拝殿の前にかがみこんで、いっしんに祈念している男がいた。
並んで鈴綱を振りながら横目でうかがうと、痩身、40歳を出たばかりと見えた。
宗匠頭巾(そうしょうずきん)の下の顔はあさぐろい。旅が長いらしい。
(小田原名物=ういろう 『東海道名所図会』 塗り絵師・松下 享)
名物の薬〔ういろう〕は、帰路に求めることにして宿へ帰ると、一番番頭の嘉兵衛が宿帳をもってうかがいにきた。
一番番頭がやってくるぐらいだから、いまは、それほど忙しい時期ではないらしい。ほかの部屋も静まりかえっている。
「わざわざにご予約金をいただきまして、恐縮でございます。残りましたら、お帰りの分におあてするようにうかがっておりますが---」
本陣なので、公用の宿泊客がほとんどだが、予約金などを先払いする客は、まず、ないらしい。ここにも父・宣雄(のぶお)の配慮が効いている。
「帰路もお世話になれますか?」
「いつごろになりましょう?」
「駿府まであと3宿泊まりとして、先方で2泊。帰りにこちらまでまた3宿。8日先かと」
嘉兵衛は暗算でもするように考えていたが、
「ことしの3月は、尾州さまのご帰国と、紀州さまのご参府の年に当たっております。ほかのお大名さまのご参勤交替は、4月と6月が多うございます。8日先でございますと、幸い、尾・紀さまともあたっておりません。
ただ、もう2日先ということになりますと、尾州さまと重なりますので、一つ先の大磯あたりの旅籠をご紹介させていただくことになるかと---」
「いや、なるべく8日先に、また、お世話になるように心がけましょう」
「大磯泊まりとなりましたら、お預かりしておりますご予約金は、あちらの旅籠へ申しおくることもできます。また、お立ち寄りいただければ、間違いなくお返しいたします」
「お手数をおかけして、かたじけない」
夕飯には、これまでどおりに、太作のために1本、注文することを忘れなかった。
銕三郎は、幼いころに背負われた、太作の背中の感触を、いまでも覚えている。
あくる日。
箱根の峰々を越えて、芦ノ湖畔に出たのは、昼をだいぶんにまわっていた。強がりをいってはいるが、箱根越えは、50歳を出た太作には、やはり、きつかったらしい。
茶店で、〔保田屋〕が持たせてくれた弁当をつかっていて銕三郎は、湖畔で絵筆を動かしている男に気づいた。
(芦ノ湖 『東海道分間延絵図』より)
(広重[箱根・湖水図])
寄っていって、描いている絵を眺めていると、男は顔を水面にむけたままで、
「若いお武家さま。絵はお好きでございますか」
「うむ。いささか修行したが、そなたのようには、とても描けません」
「ほう。どのご流儀を?」
男は、銕三郎を見た。
やはり、きのう、松原神社の社前で念じていた絵描きふうの男だった。
よほど早発(はやだ)ちしたか、細い躰に似合わず脚が速いか。
「いや、流儀というのではく、父上におそわりました。一瞬に見たものをできるかぎり正確に写しとるという画法です」
「いかにも実戦に役立ちそうな---して、どちらまで?」
「駿州・田中です」
男は、絵筆をしまいながら、京の東はずれ、近衛河原の荒神口に住む助太郎といい、暇と金ができると、貧乏旅をしながら、各地の景色を描くのを趣味にしているのだといった。
(ずいぶんとおしゃべりな男だな)
と思ったが、町人なんだし、銕三郎は気にしないことにした。
太作も、2人の話しぶりをこのましげに目を細めてながめている。
「駿州・田中がお住まいでございますか?」
「そうではなく、住まいはご府内の築地です。田中へは、ある調べごとがあって---」
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