〔荒神(こうじん)の助太郎(3)
爽快な目覚めだった。
頭の中に靄(もや)っていたものが吹き飛んだといおうか、ほどけない糸のもつれがするすると解けたといおうか、
(そうだったのだ)
ひとりごちるほどに、銕三郎(てつさぶろう)は爽快、そのものだった。
朝飯のときも、太作はいつもと変わらない表情で、銕三郎の2膳目の飯をよそってくれた。
ゆうべ、お芙沙のところから帰ってくると、〔樋口屋〕の大戸はおりていたが、潜り戸をたたくと、伝左衛門にいわれて待っていてくれたのだろう、昼間の着物のままの年配の女中が開けてくれ、提灯をうけとった。
隣部屋の太作の軽いいびきも気にならず、銕三郎は、芙沙の躰の、精緻で、鋭敏で、甘美で、多様で、奥深い反応を思いだし、このまま眠ってしまうのがもったいない思いにひたっていたのに、すとんと熟睡していたのだ。
旅籠をでるときも、伝左衛門は顔を見せなかった。
「戻りは、一日早まるかもしれない」
と番頭に告げ、伝左衛門どのにそのように伝えておいてくれるよう、頼んだ。
いいながら、顔は赤らまなかった。
(大人の領分に、一歩、入ったのだ)
そう納得した。
〔樋口屋〕を発(た)ち、1丁半ほど箱根川へ引き返して、三島神社の前で、太作とならんで、参道の奥にむかって礼拝をした。
(三島神社 『東海道名所図会』 塗り絵師:ちゅうすけ)
もっとも、銕三郎は、本殿のその先の、お芙沙の家へ挨拶を送ったつもりだった。
耳元で、お芙沙の、
(あっ、あっ、てつ---さ )
悲鳴にも似たうめきがしたような気がした。
と、参道から、京の荒神口に住んでいるといった助太郎があらわれた。
「おや。長谷川さまの若さま。またお会いいたしましたな。それでは、次の宿(しゅく)まで、お供をさせていただきましょう」
太助が、丁寧に応じている。
助太郎は、道中の川や山の解説をこまめにしてくれたが、昨夜の銕三郎の寝るまでの時間をどうしたかは、訊かなかった。訊かれたら、どう答えようと、あれこれ、こしらえごとを考えていたのだが。
沼津宿につくと、助太郎は、
「三枚橋から、舟で江尻へ渡らせていただきます。なにしろ、この街道は何回となく往来しておりますため、景色に変わり映えを感じられません。どうぞ、この先、お気をつけておつづけくださいませ」
銕三郎をはずれに招いて、一枚の紙をわたした。
どこやらの大店らしい構えの家が描かれていた。
「若さま。変哲もない絵で申しわけございません。手前の画帳は、景色のほかは、こんな絵ばかりが描かれております。ご想像になった、秘図絵があればよろしいのですが、こんなものでも、お近づきのしるしにお受けくださいまし」
(なんという、勘の鋭さ)
「どうして、わたしが、秘画を想像したと考えたのですか?」
(三島宿 女郎宿 『東海道名所図会』部分)
「三島の女郎たちが客寄せの支度をしているのをごらんになったときの、若の目の色です。でも、きょうの目は、涼やかに澄んでおいでです。ゆうべ、精進落しをなさったかのように---」
助太郎は、いいおいて、さっと船着きのほうへ去っていった。
(あの男に見抜かれるようでは、修行がまだまだだ。江戸へ戻ったら、峰山道場でもっと稽古をつまねば、な)
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コメント
助太郎が何故銕三郎に秘図は描いていないからといって、道中の風景画ではなく「大店らしい構えの家」の絵を贈ったのか不思議。謎です。
投稿: みやこのお豊 | 2007.07.17 22:35
精進落しをなさったかのように・・・・いいなあ。
投稿: おっぺ | 2007.07.18 11:15
みやこのお豊さんにも、おっぺさんにも読んでいただけて、いやな感じはなかったようで、なによりでした。
なるべく、さりげなく、さりげなく、しかも、新濡れ場の描写をしたかったのですが、何分にも、塗れ場を書くのは、生まれてはじめてなもので。
投稿: ちゅうすけ | 2007.07.18 14:09