〔荒神(こうじん)〕の助太郎(6)
「お関所の、副役(そえやく)さまが、お見えになりました」
本陣・〔川田〕角左衛門方の番頭が、案内してきた。
【参照】よみがえる箱根関所
銕三郎(てつさぶろう)は下座へさがって迎える。
(腹の中では、何用?)と案じている。
従ってきたのは、足軽小頭(こがしら)・打田内記であった。
「おくつろぎのところ、突然に参上し、申しわけござらんが、藩の正木ご用人さまから、お困りのことはないか、お尋ねするようにとのことでありましてな」
箱根関所の総責任者・番頭(ばんがしら 伴頭とも書く)の副役・伊谷彦右衛門と名乗った。小田原藩には、伊谷某という用人がいるから、その一族の末流であろう。しかし、銕三郎はそのことは知らない。
〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)が、恐縮して、失礼するというのを、銕三郎が打田小頭と目を見合わせ、
「いや、そのまま同席していてください。権七どのも耳に入れておいたほうがよろしいお話もでるやもしれませんゆえ」
と制して、
「申し分なく、くつろがせていただいております。それに、打田小頭さまに、ひとかたならぬお世話をいただきまして、ありがたく存じおります」
「それなら、けっこう---」
「伊谷さま。ちょっと失礼して、この娘(こ)を、帳場に預けて参ります」
与詩(よし)を女中頭に渡して部屋へ戻り、
「田沼(意次 おきつぐ)侯には、父が入魂(じっこん)にしていただいております。拙は、一度だけ、田中藩のご老公・本多正珍(まさよし)侯のところでお目にかかったことがございます。器量の大きな、法にきびしいお方と拝察いたしました」
「じつは身どもなども、田沼侯が相良領に封された4年前(1759)のちょうどいまごろ、領内ご検分のために箱根をお通りになり、その時にお顔を拝したきりでござる。
お帰りは、相良湊から船だったために、拝顔できませぬでな。ははは。
いや。ご用人・三浦庄ニさまは、ご領内へちょくよちょくお出でになるので、親しくお言葉をいただいており申す。
じつは、そのことでござる。番頭(ばんがしら)が、この箱根細工を、三浦さまへお届けいただきたいと申しておりましての」
「お預かりいたします」
【参考】
2007年7月20日[田沼主殿頭意次(おきつぐ)] (続)
2007年11月24日[田沼意次の虚実] (1) (2) (3) (4)
2007年8月12日[徳川将軍政治権力の研究] (1) (3) (4) (5) (6) (7) (8) (9) (10) (11)
「ところで、3日前に、城下の薬舗〔ほうらい〕に賊が入ったことはご存じかな?」
「はい、これなる権七どのから、聞きましたが---」
「賊が、関所を通るやも知れぬから、警戒を厳重に---との町奉行からの指示ですが、顔に盗賊と書いて通るのであればともかく、ふつうの顔で通られては、関所としても、手のつけようがござらぬ」
「西へ上るとの見込みがございますのですか?」
「いやいや、皆目、見当もついていないようなありさまでして---」
「お役目、ご苦労さまでございます。江戸の火盗改メ・助役(すけやく)をしておられる本多采女紀品(のりただ)さまとは面識がありますから、なにか、お伝えすることでもありますれば、お伝えいたしますが---。もっとも、帰りに江ノ島詣でをいたしますので、ふつうよりも、3,4日、遅くに江戸へ戻ることになりますが---」
「ひとつ、お訊きしてよろしいでしょうか?」
「なんでござる?」
「この半年のあいだに、大きな前金を払ってご城下に借家をした者を、お調べになったのでしょうか」
「そのようなこと---どうだ、打田、耳にしているか?」
「いえ。いっこうに---」
「長谷川どの。借家の件と、賊とのあいだに、なにかかかわりでもあるのでござるかな?」
「賊は、言葉をひとことも発しなかったと聞きました。ということは、なまりの強い連中とおもわれます」
「まさに---」
「とすれば、土地(ところ)の者ではなく、遠国(おんごく)から来た者たちやもしれませぬ」
「ふむふむ。ありえますな」
「揃いの黒装束だったとも---」
「さよう、さよう」
「旅籠で着替えて出たのでは、宿の者が気がつくはず。としますと、一軒家を借りていたのではないかと---」
「うーむ。理が通っておりますな。明朝にでもさっそく、奉行所へ早便を立てて、知らせてやりましょう」
「伊谷さま。その時は、くれぐれも、拙の名は秘してくださいますよう。明夜は大磯泊まりにな.るため、小田原での足留めは困るのです」
「あい、わかり申した。関所の意見として申しおくりますですよ」
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