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2007.11.24

『田沼意次◎その虚実』

平岩弓枝さんへ、快作『魚の棲む城』(新潮社 2002.3.30 のち新潮文庫)をいただいたお礼の電話をかけた時、平岩さんが「田沼ファンで銀行出身の研究家が書いたいい本があったから---」と打ち明けてくださった。

それ以来、その本のことが気になっていて、静岡県立中央図書館へ行くたびにそれらしい本を探していたのだが、行きあたらない。
200先日、相良史料館のケースで、後藤一朗さん『田沼意次◎その虚実』 (清水新書)が飾られているのを見、
(ああ、平岩さんが言ってたのは、これだな)
と見当をつけて、いつか、図書館から借り出す心づもりをしていた。

そしたら、なんと、SBS学苑パルシ〔鬼平クラス〕でともに勉強している安池欣一さんからメールで、
「静岡市立図書館で後藤一朗著『田沼意次 その虚実』を借り出しました。すでに県立図書館で借りている『田沼意次 ゆがめられた経世の政治家』と同じでした。返却期限は12月4日なので、12月2日の講義の日にお持ちいただけば間に合いますから、お送りしましょうか」
と、うれしいメッセージ。
早速に托送便で届いた。

奥付の著者紹介---
1900(明治33)年田沼の城下静岡県相良町に生まれる。静岡銀行に奉職、32歳で支店長となり、以後25年間各地歴任。定年後、本部に入り、「静岡銀行史」編集に参画。1960年退職。以来田沼意次の史料収集とその研究に専念、幾多の新事実を発掘した異色の歴史家。1977年逝去。

なお、清水書院の清水新書としての同書の刊行は、1984年10月10日だから、逝去7年後である。
監修者として大石慎三郎さんの名が表紙に刷られており、序文も寄せている。
その序文の日付けに、1980年11月23日 於学習院大学官舎 とあるから、もしかすると、最初は単行本として刷られ、のちに改題されて新書化されたのかも知れない。

単行本は、安池さんが県立図書館で借りた『田沼意次 ゆがめられた経世の政治家』というタイトルだったとも思える。

すると、大石さんの「序文」も、後藤さんの「あとがき」も、単行本をそのまま写したのかも。

後藤さんのあとがきを抜粋---

私は文筆をもって職とする作家ではなく、また専門の歴史家でもない。(略)

元来銀行家が、融資先の実態を把握するためには、過去の盛況にまどわされず、世間の評判や、業者の宣伝売込みに耳をかさず、もっぱら確実な資料によって独自の判断を下し、将来を見とおすことが要請され、いささかたりとも誤算をゆるさないものである。
徳川中期の歴史上の人物田沼意次は、あれだけの政治活動をした大宰相であるにかかわらず、研究資料の少ないことで、歴史家泣かせの一人だと言われている。わずかに伝わる文献は、反対政権の御用史家の作為のもの、あるいは低級な町のうわさ本が、そのすべてであると言ってよいだろう。(略)

思うに、山の形は---巨大な山岳の形容は、その山のなかにいたのではわからない。向かい側の山に登って眺め、そこではじめて全貌がわかる。反対側から見てこそ「幕府」という山の姿はわかるものだが、当時はみな「幕府」の傘の下にいたので、、わからなかったのである。(略)

ふと徳川将軍家のお家騒動が私の目に映り、大政変の根源を見出すことができた。田沼失脚の原因もつかみえたが、それよりもむしろ副収穫のほうが大きかったらしい。「一橋幕府説」は、あるいは私の発言が最初のものかも知れない。(略)

歴史家大石慎三郎博士が、私の説を支持され、推薦の労をとってくれくれたことは、このうえない喜びである。
(略)

著者の「一橋幕府説」と大石博士の推薦の序文はつづいて紹介する。

論語にいう。
子曰く、学んで思わざれば罔(くら)し。思って学ばざれば殆(あや)うし。
(教わるばかりで自ら思案しなければ独創がない。自分で考案するばかりで教えを仰ぐことをしなければ大きな陥し穴にはまる)(宮崎市定『論語』)

後藤さんは、さいわいにも、大石慎三郎博士の指導がえられた。

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