田沼主殿頭意次(おきつぐ)
≪明宵六ツ(午後6時)、寓居に珍客が見えるので、おさしつかえなければ、ご来駕ありたく。息・銕三郎どのもご同道、よろしく。(本多采女)紀品(のりただ)どの、(佐野与八郎)政親(まさちか)どのもお招きしており---≫
駿州・田中藩の前藩主・本多紀伊守正珍(まさよし)侯からの文面である。
宝暦9年4月某日のこと。寓居とは、侯が隠居所同様に暮らしている芝二葉町の中屋敷である。
本多紀伊守正珍、本多采紀品→本多家
佐野与八郎政親
おとなうと、すでに珍客の塗り駕籠が門の内側にあった。駕籠に金箔で描かれている七曜の紋所から、田沼主殿頭(とのものかみ)意次(おきつぐ)とわかった。
田沼主殿頭意次
(評定所への列座を命じられたばかりのお方が、ようも---)
不審をはらいのけながら、書院へ通った。本多采女紀品も佐野与八郎政親もすでに控えている。
「遅れまして、申し訳ございませぬ」
「なんのなんの。主殿頭どのとは、半刻も前から相談ごとをしておっての。主殿頭どの。これなるが、先刻もお耳にいれた、今川どののときの田中城主・長谷川紀伊守正長どののご子孫にて---」
「田沼です。よろしゅう」
40歳をこしているというのに、秀麗でおだやかな面(おも)ざしが、鋭利さをつつみ隠している。大髱(おおたぼ)を結った大奥の女どもが色めいているとの噂も、どうやら、
(もっとものこと)
平蔵宣雄は納得した。
「長谷川平蔵と申す、ふつつか者でございます。お初にお目にかかり、光栄にぞんじます」
「さ、さ。堅苦しいことはこれまでじゃ。長谷川どの。自慢の息・銕三郎どのは連れなんだかの?」
「はい。運あしく、ただいま、遠出をしておりまして」
「遠出とな?」
「いささか西へ」
「それは残念。主殿頭どの。長谷川どのは、番方(ばんかた 武官系)にしておくのは惜しいほどの仁でしてな。いずれ、役方(やくかた 行政官)の上つ方をこなさせてみたいもので---」
正珍侯の推薦の弁に微笑みながら、宣雄に視線をすえた。目は笑っていない。相手の心の底まで見通すような眼の光である。
「とんでもございませぬ」
平伏する宣雄から視線をそらした意次は、
「ご一族の本多長門守忠央(ただなか)侯のご赦免のこと、せっかくの本多侯のご配慮なれど、館林侯があのようなご性格で、農民一揆にはことのほかきびしく、一罰百戒の意気ごみであたられておられますゆえ、努めてはみますが、なかなかにむつかしいかとおもいます」
館林侯とは、老中首座・松平右近将監武元(たけちか)のことである。
なるほど、平蔵宣雄が着到するまでの話題は、美濃・郡上八幡の農民一揆の処理で、職は解任、封地は召し上げの若年寄・本多長門守忠央の救済に、本多一族がそれぞれ幕閣にあたっているということであろう。
「では、拙はこれにて---」
潮時とみた意次がいう。
「おお。いま、酒の用意をしているというに---」
「いや。ほかに所要もありますれば---」
「それは残念。瀬戸川下で採れる丸干しを献じようとおもいましたのに---」
「いずれ、また、参じますこともありましょうほどに、それまでお預け---あ、失礼つかまつった。ご容赦」
本多長門守忠央が松平越後守長孝(ながたか)に預けられていることを詫びたのである。
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