〔小浪(こなみ)〕のお信(のぶ)(3)
「私にも、お酌していただけますか?」
「これは、気が利かなかった。許せ」
「いちいち、お詫びになることはございません。ああ、おいしい」
近所の老婦の手になる小芋の煮っころがし、それに胡桃(くるみ)と葱をきざみこんだの炒り豆腐が肴であった。
お信(のぶ 36歳)はいける口らしく、平蔵(へいぞう 32歳)が高崎での〔船影(ふなかげ)〕の忠兵衛(ちゅうべえ 30代半ば)との取引きの経緯を話しおわるころには、手酌になっていた。
「長谷川さまと、こうして差しで飲みあえるなんて、夢のようです。6ヶ年のあいだ、この日を夢に見ていました」
「酔ったらしいな。いうことが大仰になってきたぞ」
「酔ってはいません。いえ、酔わないでは申しあげられないこころのうちのことです」
前の膳を片寄せ、緋色の布団をのべた。
とうぜんながら、お竜(りょう 享年33歳)のときのとは色も柄も違っていた。
「身分が違いすぎますから、まさか、夢がかなうとはおもってもいませんでした。お脱ぎになって、お入りになりくませんか? 寝ながら語りあいましょう」
お信が先に脱ぎ始めた。
平蔵も、いわれるままに、脱ぐしかなかった。
脱がなければ、ここまで決意しているお信に恥をかかすことになるとおもった。
「泊まることはできないぞ」
「いちどだけ、抱いていただくだけでいいのです」
向いあった。
平蔵がなにかいいかけると、唇でふさがれた。
お互い、股を指がまさぐりはじめた。
乳房から口をはなし、
「お信。肌が光沢(つや)やかになったのは---?」
「盗人(つとめにん)だったころは、獄門にかけられる夢ばかりみていて、おちおち眠っていられませんでした」
「な.るほど。盗(つとめ)みとはそういうものか」
「あ。そこ、もっとおつづげになって---。長谷川さまのお蔭で、〔小浪〕をやるようになってからは、安心してよく眠れるのです。それに[化粧(けわい)読みうり]に載っていた肌を美しくする粉を、ここ3ヶ年、ずっと肌にすりこんでおります」
「ふふ。[化粧(けわい)読みうり]、のう---」
「化粧のことだけでなく、寝所での所作も書いてあると、もっと売れましょう」
「長谷川さまは、不思議なお人です」
「なに?」
「私の男のことをお訊きになりません」
「いるのか?」
「いいえ、この6ヶ年は---」
「いてもいなくても、おれには、かかわりないこと。ここでこうしていることが、なにより大切」
「吉事---お待ちしていた甲斐がありました」
果て、仰向き、互いに手をあてがってじゃれあった。
「つぎも、抱いてくださいますか?」
【参照】2010年9月1日~[〔小浪(ひなみ)〕のお信] (1) (2) (4) (5) (6) (7) (8) (9)
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