〔神崎(かんざき)〕の伊之松(2)
「お信(のぶ)どの。長谷川銕三郎(てつさぶろう)です」
30歳にしては、肌に疲れがにじんでいたが、お信の顔立ちはよく、小浪(こなみ 32歳)よりも親しみやすい雰囲気をもっている。(国芳 お信のイメージ)
(これだと、さっそくにも、贔屓客がつくだろう)
「お信と申します。このたびは、お頭(かしら)さまにたいそうになおこころづかいをいただきました」
「お引きあわせしておこう。こちらは、田口どの」
田口耕三(こうぞう 30歳)が、気持ち、会釈を返した。
銕三郎は、客の手前、田口の身分を中野組の「次席与力」とは明かさなかったが、お信は、さすがに元女賊だけあって、とっさに察したようであった。
うながすと、奥の座敷口までついてきた。
お信を奥へ立たせ、銕三郎が口の動きをかくすように客席へ背をむけ、ささやき声で、
「このあたりが持ち場の火盗改メは、中野組で、田口どのはそちらの組の次席与力の方です。そのつもりでお付きあいなされ」
「長谷川さまのお受け持ちは?」
〔冬場の助役(すけやく)なので、日本橋川から南です。しかし、困ったことがあったら、いつにても力になるから、使いを、南本所の役宅へよこすこと」
「そういたさせていただきますです」
「上総(かずさ)の不入斗(いりやまず)の生まれだそうですな」
「はい。18まで、村にいました」
「その話は、店がしまってから聞くことにして---仕事にもどりなされ---」
席料を2人分払い、店を出ると、田口与力が訊いた。
「あれで、30幾つですかな?」
「幾つと見ましたか?」
「33,4---いや、もう一つはいっているかな」
銕三郎が齢を告げると、
「けっ。若くつくるおんなは多いが、老けづくりするのは珍しい」
駒形堂まであるいて、蕎麦屋へはいった。
「じつは、村越(益次郎 ますじろう 50歳)どのをとおして、中野(監物 けんもつ 59歳)組頭さまへお願いにあがらなければならないことがあるのです」
村越j益次郎は、中野組の筆頭与力である。
「どのようなことですかな?」
「さっきの茶店〔小浪〕のことです」
「お信の?」
「いや。お信の前の女将にかかわることで---」
蕎麦がきたので、しばらくは会話をやめてたぐることに専念した。
蕎麦湯を飲みながら、
「近く、うちの組の秋山(善之進 ぜんんのしん 50歳)筆頭どのが、村越どのを訪ねて、お願いにあがるとお伝えください。それまでは、極秘の用件です」
その夜---。
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