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2008.04.29

〔盗人酒屋〕の忠助

本所・四ッ目の〔盗人酒屋〕を探ってみよ---と、火盗改メのお頭(かしら)・長谷川太郎兵衛正直(まさなお 57歳 1450石余)からじきじきに言われた銕三郎(てつさぶろう 20歳)は、その諸掛かり費として3両わたされた。

いうまでもないが、太郎兵衛正直は、長谷川一門の本家・当主であり、銕三郎には大伯父にあたる。
正直は、銕三郎が身につけている捜査への目のつけどころと、なみなみでない熱意をみとめて、職制外の要員に登用したのである。

参照】長谷川太郎兵衛正直 [〔荒神〕の助太郎] (10)
[明和2年の銕三郎] (1)
[十如是](3) (4)

3両は、いま(物価暴騰寸前の2008年4月下旬)の価値に換算すると、30万円前後とおもっていい。
もっとも、流行作家になって以後の池波さんの換算率は、これよりもかなり甘い。

篇名(巻数-順)    初出年   1両換算
[1―5 老盗の夢]   1968    4~5万円
[3―3 艶婦の毒]   1969    6万円
[9―2 鯉肝のお里]  1972    7~10万円
[19―1 霧の朝]     1978    10万円
江戸切絵図散歩]   1987    20万円

このところの学会は、池波さんの直感よりもうんとしわく、1両を10万円前後にみているので、今回の換算はそれにしたがっておいた。最近の物価上昇で、いずれ、訂正せずばなるまいが。

銕三郎は、3両のうちの2両を〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)の掌(てのひら)へのせて、
「あまったら、お須賀(すが)どのと、芝居へでも行くたしにしてください」
「こんなにいただいちまっちゃあ、申しわけありやせん。せめてこれで、於嘉根(かね 2歳)さまへ髪かざりでも---」
返そうとする1両を、さえぎって、
「そちらは、母上がこころがけてくださっているから---」

〔盗人酒屋〕と親しくなる手はずを、あれこれ案じてみた銕三郎は、権七にひと役買ってもらうのがもっとも自然にいけるとの結論に達したのである。

が、権七の住まい兼呑み屋である〔須賀〕から、四ッ目の〔盗人酒屋〕へは、20丁(2kmほど)はある。
ちょっと気に入ったから立ち寄ってみた---という口実は使えない。

それで、腹をこわして寝ている銕三郎から、押上の春慶寺へ寄宿している岸井左馬之助(さまのすけ 20歳)への届けものをした帰り道に、行灯看板が目にとまったので入ってみて、気にいったという筋書きにした。

参照】[岸井左馬之助] (1) (2)[岸井左馬之助とふさ]

もちろん、その口実は、〔盗人酒屋〕の主(あるじ)のほうから訊いてくるまで、言いだすものではない。

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(北本所の図 尾張屋板)

最初の夕刻は、2合の酒と、あわびの大洗(だいせん)煮をとり、小半刻(こはんとき)で引きあげた。
2日おいて、また、酒2合と、あわびの大洗煮を注文したら、10歳ほどの、目のぱっちりした小女から、
「きょうは、大洗煮はありません」
と言われた。
「それゃあ残念。おすすめは---?」
「おすすめというのではなく、あるのは、あわびのわたの煮込みと、胡瓜もみだけです」
「わたの煮込みでいこう。ここのむすめさんかい?」
まさです。板場にいるのが、お父(と)っつぁんです」

参照】 [女密偵おまさ]
 [おまさの年譜]
[おまさが事件の発端]
 [テレビ化で生まれたおまさ]

忠助と名のった40がらみの主(あるじ)は、5尺8寸(1m75cm)はありそうな、鶴をおもわせる長身の男であった。

参照】  [〔鶴(たずがね)〕の忠助] 

「わたの煮込みに、味醂がほどよく効いている」
権七のお世辞にも、ちらっとうなずいただけであった。

3日おいて、こんどは、店に入る前に麻地暖簾を割って、
おまささん。きょうは、あわびの大洗煮はあるかな?」
先に声をかけてみた。
おまさが首を横にふったので、
「あすは?」
忠助がうなずいた。
「では、あす」
そのまま、帰った。

翌日、権七は、銕三郎左馬之助を伴ってあらわれた。2人とも浪人風に着流しである。

「あわびの大洗煮を、ぜひ、この2人に味あわせたくてね」
忠助がはじめて笑顔を見せた。
出されたあわびを箸でつまんだ銕三郎が訊いた。
「どこのあわびですか?」
「浦安の浜です」
「浦安にも海女が?」
「はい。お武家さまは、どこで海女をご覧になりましたか?」
「東海道の倉沢でした」

参照】2008年1月12日[与詩を迎えに] (23)

「ああ。あのあたりは海女が名物です」
「ご存じで?」
「はい。若いころに、上り下りしたもので」

_360_3
(北斎「倉沢の海女」)

権七左馬之助は、話にくわわらないで、もっぱら、呑み、かつ、食べている。
おまさが、父親と銕三郎の会話を、目をかがやかせて聞いている。

----と、瀬戸物が割れる音ととともに、人が転び、大きな砂袋が落ちたような鈍く腹にこたえる音がした。

参照】 [〔盗人酒場〕の忠助] (2) (3) (4) (5) (6) (7)


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コメント

新刊---深井雅海さん『江戸城-本丸御殿と幕府政治』(中公新書 2008.4.25)は、1両を16万円に換算していました。
池波さんに近づきましたね。

投稿: ちゅうすけ | 2008.04.29 17:31

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