諏訪左源太頼珍(よりよし)(3)
「村にも、お諏訪(すわ)さまがあります」
諏訪左源太頼珍(よりよし 62歳 2000石)に話がおよんだとき、お勝(かつ 27歳)が割りこんできた。
「そうだったね。村の諏訪明神さまの神職の佐々木さまに字をおそわったものです」
〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 29歳)が受ける。
千住大橋の上手(かみて)、新河岸川の芦の叢(くさむら)から屋根舟が大川へ出、橋場の渡しの向島側の舟着きで降りたとき、老船頭に過分すぎるこころづけをやったお竜が、その手で銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの平蔵)の手を引き、
「お勝も待ちわびていることでしょう。〔五鉄〕でいただいたしゃもの肝の甘煮で、軽くお口なおしをしませんか?」
その誘いで、須田(すだ)村の寓宅に立ち寄った。
蚊帳の中での酒盛りと、お竜とお勝の、生まれ育った村の思い出話を楽しんでいるうちに、四ッ(午後10時)をすぎ、泊まることになったのである。
中畑村(甲斐国八代郡(やつしろこおり 現・山梨県甲府市中畑(なかはた))へ諏訪明神が勧請されたのは、東日本を中心に全国に1万社はあるといわれている末社の中でも、かなり古い。
(曽根丘陵にある中畑村のうちでも、さらに小高い丘の中腹に祀られている諏訪神社の末社)
祭神の建御名方命(たてみなかたのみこと)の性格のうち、狩猟神的なところをあがめたとおもわれる。
村の主業が狩猟、林業、果樹であったからである。
お竜の名も、諏訪明神の「のぼり竜、くだり竜」に由来すると。
「お諏訪さまの、ちょうどいまごろの風追(かざおい)祭には、お巫子(みこ)さんもお勤めしたのですよ」
お竜が遠くをみるように細めた双眸(まなざし)で言うと、
「お竜おねえさんのお巫子さんは、それはそれはきれいな、まるで天女のようなお巫子さんぶりでした」
お勝の讃辞がつづいた。
「それが悪いほうへ転んだのです。氏子の代表のような家から、お勝とのあいだを咎(とが)めだてされ、お諏訪さまを汚したとそしられて、村にいられなくなりました」
「あの世話役、お竜おねえさんに、岡惚れしていて、肘てつをくっての意趣がえしだったんです」
銕三郎は、そえる言葉がなかったので、黙って杯を見ていた。
「ですから、わたしの独断で、諏訪さま方へ、引きこみを入れました」
「なるほど、そういう経緯(いきさつ)があったのですか」
銕三郎の言葉にうなずいたお竜が、
「そろそろ、お寝(やす)みにしませんか。蚊帳が一帳(ひとはり)しかないので、3人、一つ蚊帳になりますが、ご辛抱ください」
(中畑地区の交通標識 Nakahata)
【ちゅうすけの冗談】中畑の信号には、Nakahata とある。平凡社『日本歴史地名大系 山梨県編』も、昭文社『ニューエスト山梨県都市地図』も、(なかばたけ)とルビをふっている。甲府市に編入した時点で(なかはた)になったのか、あるいは、巨人軍の中畑選手が活躍していたころに呼び方を変えたのか。
銕三郎が厠へ立ったすきに、お竜が釘をさした。
「お勝。長谷川さまもいらっしゃることゆえ、はしたない真似をして、恥をかかせないでおくれよ」
「わかってますって---」
有明行灯の芯を低くしてから蚊帳へ入ってきたお竜に、銕三郎が告げる。
「明朝は、暗いうちに失礼します。いまごろは夜明けが早いから、七ッ(午前4時)には帰りますが、くれぐれも、起きだしたりしないように---」
お竜を真ん中に、川の字に床についた。
不満気味だったお勝は、やはり、店での疲れがでたか、はやばやと寝息をたてる。
ひと眠りしたころ、お竜に指で腕をつつかれた銕三郎が目覚めると、目でお勝を見るようにうながした。
夏なので、ふとんも蹴とばし、太腿もなげだして眠りこけているお勝が、うすぼんやりと見えた。
(おんなも、大年増と呼ばれるようになると、自制がうすれて、大胆なものだな)
銕三郎は、いつだったか、こんな絵を示した、〔橘屋〕のお仲(なか 34歳)をおもいだして、内心で苦笑した。
そんな銕三郎の下腹に、お竜の指が触ったが、さすがに、それ以上には動かさなかった。
(重信 『柳の嵐』 イメージ)
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