« 諏訪左源太頼珍(よりよし)(2) | トップページ | ちゅうすけのひとり言(28) »

2008.11.27

諏訪左源太頼珍(よりよし)(3)

「村にも、お諏訪(すわ)さまがあります」
諏訪左源太頼珍(よりよし 62歳 2000石)に話がおよんだとき、お(かつ 27歳)が割りこんできた。
「そうだったね。村の諏訪明神さまの神職の佐々木さまに字をおそわったものです」
中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 29歳)が受ける。

千住大橋の上手(かみて)、新河岸川の芦の叢(くさむら)から屋根舟が大川へ出、橋場の渡しの向島側の舟着きで降りたとき、老船頭に過分すぎるこころづけをやったおが、その手で銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの平蔵)の手を引き、
「おも待ちわびていることでしょう。〔五鉄〕でいただいたしゃもの肝の甘煮で、軽くお口なおしをしませんか?」
その誘いで、須田(すだ)村の寓宅に立ち寄った。

蚊帳の中での酒盛りと、おとおの、生まれ育った村の思い出話を楽しんでいるうちに、四ッ(午後10時)をすぎ、泊まることになったのである。

中畑村(甲斐国八代郡(やつしろこおり  現・山梨県甲府市中畑(なかはた))へ諏訪明神が勧請されたのは、東日本を中心に全国に1万社はあるといわれている末社の中でも、かなり古い。

_360
(曽根丘陵にある中畑村のうちでも、さらに小高い丘の中腹に祀られている諏訪神社の末社)

祭神の建御名方命(たてみなかたのみこと)の性格のうち、狩猟神的なところをあがめたとおもわれる。
村の主業が狩猟、林業、果樹であったからである。
の名も、諏訪明神の「のぼり竜、くだり竜」に由来すると。

「お諏訪さまの、ちょうどいまごろの風追(かざおい)祭には、お巫子(みこ)さんもお勤めしたのですよ」
が遠くをみるように細めた双眸(まなざし)で言うと、
「おおねえさんのお巫子さんは、それはそれはきれいな、まるで天女のようなお巫子さんぶりでした」
の讃辞がつづいた。

「それが悪いほうへ転んだのです。氏子の代表のような家から、おとのあいだを咎(とが)めだてされ、お諏訪さまを汚したとそしられて、村にいられなくなりました」
「あの世話役、おおねえさんに、岡惚れしていて、肘てつをくっての意趣がえしだったんです」

銕三郎は、そえる言葉がなかったので、黙って杯を見ていた。

「ですから、わたしの独断で、諏訪さま方へ、引きこみを入れました」
「なるほど、そういう経緯(いきさつ)があったのですか」
銕三郎の言葉にうなずいたおが、
「そろそろ、お寝(やす)みにしませんか。蚊帳が一帳(ひとはり)しかないので、3人、一つ蚊帳になりますが、ご辛抱ください」

_360_2
(中畑地区の交通標識 Nakahata) 

ちゅうすけの冗談】中畑の信号には、Nakahata とある。平凡社『日本歴史地名大系 山梨県編』も、昭文社『ニューエスト山梨県都市地図』も、(なかばたけ)とルビをふっている。甲府市に編入した時点で(なかはた)になったのか、あるいは、巨人軍の中畑選手が活躍していたころに呼び方を変えたのか。

銕三郎が厠へ立ったすきに、おが釘をさした。
「お長谷川さまもいらっしゃることゆえ、はしたない真似をして、恥をかかせないでおくれよ」
「わかってますって---」

有明行灯の芯を低くしてから蚊帳へ入ってきたおに、銕三郎が告げる。
「明朝は、暗いうちに失礼します。いまごろは夜明けが早いから、七ッ(午前4時)には帰りますが、くれぐれも、起きだしたりしないように---」

を真ん中に、川の字に床についた。
不満気味だったおは、やはり、店での疲れがでたか、はやばやと寝息をたてる。

ひと眠りしたころ、おに指で腕をつつかれた銕三郎が目覚めると、目でおを見るようにうながした。
夏なので、ふとんも蹴とばし、太腿もなげだして眠りこけているおが、うすぼんやりと見えた。
(おんなも、大年増と呼ばれるようになると、自制がうすれて、大胆なものだな)
銕三郎は、いつだったか、こんな絵を示した、〔橘屋〕のお(なか 34歳)をおもいだして、内心で苦笑した。
そんな銕三郎の下腹に、おの指が触ったが、さすがに、それ以上には動かさなかった。

_360_3
(重信 『柳の嵐』 イメージ)

参照】2008年11月19日~[諏訪左源太頼珍] (1) (2) (付)

|

« 諏訪左源太頼珍(よりよし)(2) | トップページ | ちゅうすけのひとり言(28) »

149お竜・お勝・お乃舞・お咲」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 諏訪左源太頼珍(よりよし)(2) | トップページ | ちゅうすけのひとり言(28) »