〔蓑火(みのひ)〕一味の分け前
「〔五鉄〕さんのお支払い、よろしいんでしょうか? おあしなら、ありますのよ」
本所特有の、小禄のご家人の小さな敷地がつらなっている武家町の、まったまく人通りがない夜道だが、〔中畑(なかばたけ)〕のお竜(りょう 29歳)は、背伸びして銕三郎(てつざぶろう 23歳)の耳元へ唇をよせ、声をひそめて訊いた。
「じつは、先日、火盗改メから新番の番頭へお移りになった本多さまから、お小遣いをいただいているのです。あれほどの支払いは、大丈夫です」
銕三郎も、お竜の耳朶(みみたぶ)に唇を触れなさせながら、言った。
【参照】2008年11月6日[火盗改メ・長山百助直幡(なおはた) (3)
「わたしも、〔狐火(きつねび)〕のお頭から支度金をいただいていますから、不自由はしていないんですよ」
【参照】2008年10月25日[〔うさぎ人(にん)〕・小浪] (3)
銕三郎は、わざとのように、頭をお竜の唇へ傾ける。
「内神田のほうの仕事の分け前は、いかほどでしたか?」
〔蓑火(みのひ)一味は、大晦日・年越しの早朝、神田鍋町の海苔問屋〔旭耀軒・岩槻屋〕へ押し入り、大節季に集金したばかりの856両を奪った。
【参照】2008年9月2日~[〔蓑火(みのひ)〕のお頭 (5) (6) (7) (8)
「あのときは、久しぶりの大かがりな仕事で、働いたのも30人をこえていましたから、軍者(ぐんしゃ)のわたしには20両---」
「意外に少ない---」
「〔蓑火〕のお頭が、半分おとりになるのです」
「安旅籠の買収資金として---?」
【参照】〔蓑火〕一味の安旅籠 [中畑のお竜] (7) (8)
2008年9月16日~[本多組同心・加藤半之丞] (1) (2)
「ご存じなんですね。でも、それもありますが、〔蓑火〕のお頭は、一統の退(ひ)き金(がね 退職金)を積み立てておられるので---」
「ほう、隠居金(いんきょがね)をね。役つきの幕臣の隠居料の廩米300俵のようなものか」
「お武家方でも、隠居料がでるんですね」
「それを出さないと、死ぬまで家禄を継嗣にゆずりたがらない」
【ちゅうすけ注】『寛政重修諸家譜』には、10人に1人ほどの割合で、300俵(換算・年に約3000万円)養老米の支給が記されている。いまの高級官僚が退職後に天下りをくりかえすのは、これほどの年金が出ないからかも。
耳朶の嘗めあいのかたちで会話がすすむ。
銕三郎の股間は、次第に膨張し、歩をすすめるたびに先端が袴にすれて、痛かゆくなりはじめた。
お竜も、下腹が熱っぽくなってきているが、男のもののように膨張しないから、外ッ面は平静をよそおっていられるが、腰がだるくなり、足はこびが遅れてくる。
「お武家さまも、意外に勘定高いのですね」
「武家にかぎらない。欲のない人間のほうが少ない」
銕三郎の言葉づかいが、だんだんにくずれているのは、袴の内側の刺激のせいかも。
「吾妻橋の東詰で、駕籠をひろおう」
「いえ。駕籠では話がとおりません。いっそ、宿を---」
「それは、禁句」
「はい---」
とりかわした約束が、もう、あやしくなってきている。
お竜の双眸が、いかにもうらめしげだ。
これが、性への執着というものかもしれない。
そのあと、お竜は、中ノ郷竹町の舟宿の前でへたりこんでしまった。
「やっぱり、猪牙にしよう」
銕三郎が脇に腕を入れて立たせるが、お竜は乳房を押しつけてもたれかかる。
時刻は、五ッ半(午後9時)ごろで、浅草につなががっている吾妻橋の東詰だけに、人通りは絶えていない。
人目にたちたくなかった。
銕三郎は、甘えるお竜をかかえるようにして、〔船宿・阿津真(あづま)〕と行灯が点っている玄関に立ち、
「舟を頼めるかな」
(北本所・中ノ郷竹町 向こう岸・浅草材木町との間の竹町の渡し=青〇)
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