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2008.09.18

本多組の同心・加藤半之丞(2)

「盗賊が商人(あきんど)宿を買いとる? 何ゆえに?」
訊きかえしたのは、火盗改メ・本多組の書留(かきとめ)役同心・加藤半之丞(はんのじょう 30歳)である。

銕三郎(てつさぶろう 23歳 のちの鬼平)が、江戸の大店と取引きしたり、みずから単価の高い品物をかついできて府内で売りさばいている近江商人はもっぱら、東海道ではなく、中山道を往来していることを説明した。

「そういえば、箱根を往来する商人には、伊勢や松坂の衆は多かったが、近江の衆はほとんど見かけなかったようで。そんなような次第でございやしたか」
小田原在の育ちで、箱根山道の荷かつぎ雲助をしていた〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち)の声には、実感がこもっていた。

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(箱根宿と関所 『東海道名所図会』部分 塗り絵師:ちゅうすけ)

「商人たちが、旅籠でかわす世間話の中に、盗賊が襲うにはもってこいの冨家や商舗のきれっぱしがまざっているかもしれませぬ」
「なるほど。商人宿なら、人の出入りがはげしいのがあたり前だから、盗人宿として、一味の者が出入りしても目立たないということですな」
加藤同心もいちおう納得した。
「さすがに、お通じが早い」
すかさず、銕三郎はほめあげる。

「しかも、中山道とは---!」
権七が感心しきった声をあげた。
こちらへも、
「東海道・箱根山道の主(ぬし)だった権七どのも、気づかなかった---」
「ぬかっていやした」
「気づいていれば、信玄公の軍者だった山本勘助はだしです」
「みごとに、なりそこねやした。はっ、ははは」
講談師の講釈で知っている山本勘助に並べられて、権七は悪い気はしない。

長谷川さまは、どういうきっかけで、商人宿とお気づきになったのですか?」
加藤同心が不審を述べた。
(女賊・〔中畑(なかばたけ)〕のお(りょう 29歳)のことを打ち明けるのは、まだ早い)

「甲州で、信玄公の飛脚のろし台の遺跡を見ました。それで、高輪の牛舎の前の海で、舟から舟へ松明(たいまつ)の火で何やらの合図らしきものを交わした者があったということを思いだしました。あの盗賊一味は、諜報ということに長(た)けている向きから考えをつめたら、商人宿におもいいたったのです」

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(英泉[奈良井宿・名産之店之図] 『木曾海道六十九次』)

「目のつけどころが、さすが、でやす」
権七は簡単に納得したが、加藤同心はまだ、疑わしげな目で銕三郎を見つめている。

(この同心どのが本多采女紀品(のりただ 55歳)へ告げ、甲州勤番支配へおれの探索先を問いあわせたとしても、道案内をつとめた本多作四郎(さくしろう 37歳)うじは立ち会っていなかった。また、中畑郷の村長(むらおさ)・庄左衛門が、徳川方の役人に素直に報告するとはおもえない。おのことは、当分、秘しておけるだろう)
銕三郎は、こう、見切った。

(なに、バレたとしても、おが〔蓑火みのひ)〕一味の軍者であることは庄左衛門には打ち明けなかったから、〔蓑火〕のところまではたどれまい)

「盗賊だとて、齢(とし)は人並みにくいます。足腰が弱ったら、いま盗(ばたら)きはできなくなりましょう。そうしたときの引退(ひき)先として、旅籠をまかせるのも、いい考えだとおおもいになりませぬか?」
「なるほど。一挙三得ですな」
加藤同心は、とりあえず、うなずいた。

「襲う先のタネをひろう宝の山としては、この〔須賀〕のような酒場もあります。現に、かつて、女男(おんなおとこ)の口合人(くちあいにん)・〔雨女(あまめ)〕のお(とき 36歳=当時)もここで網にかかりました。しかし、中山道の宿々の数えきれない居酒屋を洗うことはできませぬ」

【参照】〔雨女〕のお時の事件は、[明和3年(1766)の銕三郎] (2) (3)

「それは、そうです」
加藤同心の関心は、どうやらそれたようだった。
酒客がだんだん入ってきたので、それからは雑談になり、加藤同心は杯を重ねた。

【参照】同心・加藤半之丞 2008年2月20日~[銕三郎(銕三郎)、初手柄] (1) (4)
2008年9月3日~[蓑火(みのひ)〕のお頭] (6) (7)

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