明和3年(1766)の銕三郎(2)
銕三郎(てつさぶろう 21歳 のちの平蔵)が 井戸端で稽古着をぬいで汗をふいていると、〔風速(かざはや)〕の権七(ごんしち 34歳)も道場から出てきた。
権七は、箱根の荷運び雲助の頭株だったが、関所抜けにかかわって土地(ところ)にいられなくなり、情婦のお須賀(28歳)と江戸へ出てき、永代橋東詰で居酒屋をやらせている。
【参照】2008年3月19日[於嘉根という女の子] (1)
2008年3月23日[〔荒神(こうじん)〕の助太郎 (8)
朝、日本橋の魚河岸と神田多町(たちょう)での野菜類の仕入れがおわると、あとは夜まで暇をもてあましていたので、剣術でも習ってみたらと、銕三郎が高杉銀平師へつないだ。
師は、
「武士でもないものが剣術を習うというのはどうかとおもうが、道中差での喧嘩もあろう。斬られず、相手も斬らない極意を覚えるといい」
といって、ふつうの木刀の寸をつめて、指導にあたっておられる。
高杉師じきじきの、道中差での斬りあい---いや、ちがった、斬らずあいは、きわめて珍しい立会いなので、権七が稽古のときには、銕三郎、岸井左馬之助( さまのすけ 21歳)、井関録之助(ろくのすけ 17歳)など、真剣に剣の奥儀をきわめようとこころがけている門弟は、自分の稽古をやめて、師と権七の対峙を目を凝らして拝観している。
学ぶべきところが多い、というのが、3人の述懐である。
高杉師によると、権七の足腰は長年、門弟のだれよりも鍛えられているので、腰がきまっており、相手の剣を避けるのも、おどしの突きをいれるのも、じつに、はしこい---とほめるので、権七はますますやる気になっている。
録之助がいみじくも言ったものだ。
「奥義はつまるところ、足腰だね。女を抱いて極楽へみちびく秘技と同じなんだ」
「ばか。女との地獄も、まだ知らないくせに---」
これは、左馬之助。
が、それは、きょうの話題ではない。
井戸端で、権七が、
「お時間をいただけやすか?」
「法恩寺の門前の蕎麦屋〔ひしや〕ですむ話ですか。それとも、〔須賀〕へ同道したほうがいい話ですか?」
〔ひしや〕ですむということだったので、2人は着替えて、入れ込みの奥の卓についた。
「長谷川さまは、口合人(くちあいにん)ってえ、裏の稼業(かぎょう)を耳になさったことがおありでやすか?」
「口合人? 聞いたことはありませぬ」
「手っとりぱやく言うと、盗人にかぎっての口入れ屋なんでやすがね」
「ほう。そういう仕組みもあるのですか。かんがえてみると、ふつうの口入れ屋では盗人の周旋はしないものな」
「それもありやすが、口合いには、保証つきで紹介するって意味もあるんで---」
「なるほど」
「それらしいのが、〔須賀〕にきたんです」
「どんな男でした?」
「いいえ、女でやす」
「女の盗人の口合人とは---」
権七によると、その口合人は〔雨女(あまめ)のお時と名乗ったという。
ある晩、ふらりと入ってきて、銅壷(どうこ)の前で燗酒をみている女将(おかみ)・須賀(28歳)の前にぴたりとすわったきり動かない。
もちろん、酒と肴は注文するのだが、盃を口に運びながらも、お須賀から目をはずさない。
気づいた須賀が、
「顔に、墨でもついてますかえ」
と訊くと、にぃっと微笑み、
「いい女だねえ、女将さん」
「お客さんほどではござんせん」
齢のころは35,6に見えたその女が、銅壷ごしにお須賀の手にさわろうとしたので、板場から出た権七が、
「お客さん、須賀はいま仕事中なんでごぜえやす」
「あたしゃあねえ、男には興味がないのさ」
「おや。すると、女男(おんなおとこ)---須賀、お客さんは、あの賀茂(かも)と同類らしいぜ。そういやぁ、賀茂は、おめえなんかにゃ、鼻もひっかけなかったが---」
須賀に手をださせないようにと、権七が、からかうと、女は、
「ちょいと、伺いますが---」
とのってきた。
賀茂が三島宿の本陣〔世古〕の女中をしていたと知ると、
「ちきしょう、そんなところへ身を隠していたのか」
本気で腹を立てるから、
「お客さんは、賀茂さんとはどういう?」
「わたしの相方(あいかた)だったのよ」
【参照】賀茂は、〔荒神(こうじん)〕の助太郎 (10)
女は、権七にほだされて、〔雨女〕のお時(とき)と名を告げ、巽(たつみ)橋東詰の中島町に一軒家をかまえているといった。
巽橋は、〔須賀〕から南へ1丁ばかり行った、熊井町の名店〔翁蕎麦〕の先だ。
(南深川 赤○=居酒屋〔須賀] 緑○=〔雨女〕のお時の家)
【ちゅうすけ注】中島町のそこは、北原亜以子さんの、『深川澪通り木戸番小屋』のあるところ。
「権七どの。そのお時が、盗人の口合人とどうしてわかりました?」
「その後、何度か店へ呑みにきましたが、そのつど違う女を連れているので、商べえを訊いてみたのでやす。そうしたら、働き口をほうぼうへ世話しているのだといいやした。で、口入り屋の鑑札もなしにそんな世話をしてもいいのかった訊きやしたら、ふつうの口入れ屋ができねえ世話で、口合人というのだと」
お時がいうところによると、お賀茂もそのように幾度も世話してやった。
「盗人仲間では、飯炊きとか女中として送りここんで、内情を盗みとる役を、引き込みとかいうんだそうですが、お賀茂は、酒好きがたたり、どこでも長つづきしなかったのだと」
それで、お時のうちで家政をやらされたのとともに、女男の道もしこまれた。
ところが3年前、京都の荒神口で太物屋をやっていると自称している〔荒神〕の助太郎というのに引き合わせたら、たちまち気にいられて、行方をくらませてしまったのだと。
〔荒神〕の助太郎の手はずで、三島宿の〔世故〕へ入れ、箱根抜けをする時期を待たせていたらしい。
「廻りあわせというのは、あるものなのですな」
銕三郎がため息をついた。
後日談だが、火盗改メ本役の大伯父・長谷川太郎兵衛正直(まさなお 58歳)の組の、高遠(たかとう)与力たちがお時をとらえて、女たちの世話先も吐かせ、引き込みを5人ばかり逮捕した。あと3人は、お時が捕まったとわかると、さっと消えたらしい。
太郎兵衛正直は、紙包みを銕三郎と権七の前に置き、
「銕や。お時の通り名の〔雨女〕の由来を存じておるか?」
「なにかの遠出に、その女がいるとかならず雨が降るという迷信みたいな---」
「ばか。もっと勉強せい」
家で、父・平蔵宣雄(のぶお 48歳)に〔雨女〕のことを尋ねると、
「むかし、西隣りの大国の王が、夢で出会った美女と交合し、別れの時がくると、美女が、朝には雲となり夕べには雨となって、朝な夕なに巫山(ふざん)でお逢いしましょうといったそうな。それで、男女のひめやかな交情を朝雲暮雨という。銕三郎とお静も、朝雲暮雨であったな」
「あ、ご存じでしたか?」
「命を惜しめよ」
「はい。ところで、雨女は?」
「ばか。美女が雨女なのじゃ」
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