明和3年(1766)の銕三郎
長谷川銕三郎(てつさぶろう)宣以(のぶため 21歳)にとっての明和3年で、特記すべきことの数件。
すでに記したが、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 45,6歳)が、1年前に妾にしたお静(しず 18歳)と、躰の結びつきができてしまったことを、まず、あげておく。
お静は、
「お金のやりとりなしで、自分の気持ちにしたがった時って、こんなに高まるのですね。ふつうのむすめが好きな男の人とする時の自然な感じは、きっとこうなんでしょう、初めて知りました」
と感激して告白したが、ことはあっけなく勇次郎の知るところとなった。
【参照】[お静という女](1) (2) (3) (4) (5)
勇五郎の老練な愛技をほどこされて恍惚となっていた時に、銕三郎の名を口ばしったのだという。
勇次郎は、さすがに巨盗のお頭らしく、お静をとがめなかった。
自分が、駿府での大きな盗(おつと)めを差配するために、お静を一人にしておいたことによる不祥事---とあきらめたのである。
もっとも、若い時には男女とも、臍(へそ)から下には人格がない---ということも、苦労人らしく、心得ていた。
「お前さんは、武家方のお子だ。人のもちものを盗(と)っちゃあいけねえ。盗人のおれが、こんなことをいうのはおかしいようなものだが、お前さんだからいうのさ。人のもちものでも、金ならまだゆるせる。だがねえ、女はいけませんよ」(文庫巻6)[狐火]p160 新装版p168
銕三郎は一言もなかった。
勇五郎は、お静を上方へ連れ去った。
それから2年後---明和5年(1768)の初夏、銕三郎は、再会した〔狐火〕から
「お静が、可愛い女の子を生んでくれてねえ」(文庫巻6〔狐火〕p160 新装版p169)
相好をくずした言葉を聞いて、また、首をすくめたものだった。
物語の[狐火]は、寛政3年(1791)の夏---平蔵が火盗改メのお頭となって5年目、46歳の時だから、明和3年からすでに25年の歳月を経ている。
勇五郎は4年前に歿した。
享年は68。もちろん、畳の上での大往生。
お静は、勇五郎より6年早く、2人目のむすめ・お久(ひさ 6歳=当時)をのこして歿している。享年34。
つぎの事件は、長谷川本家の大伯父・太郎兵衛正直(まさなお 57歳)が、この年の6月18日に火盗改メ本役をめでたく免じられたこと。
出費の多い火盗改メを1年もつづけると、先祖からの蓄えをほとんど費消しつくすといわれている。「費消しつくす」かは大げさとしても、私財が大幅に減ることはまちがいない。
太郎兵衛正直がお頭だから、銕三郎を助手としてあつかってくれ、なにくれと手当てもはずんでくれた。
しかし、この先は、探索が好きなら、費(ついえ)えは自分もちということになる。
銕三郎は、思案に暮れた。
が、それよりも、大伯父の在任中に銕三郎が立てた手柄を記しておかないと、無駄金をもらっていたことになってしまう。
銕三郎が、〔盗人酒屋〕の〔鶴(たずがね)〕の忠助(ちゅうすけ)や、そのお頭だった足利に本拠をおく〔法楽寺(ほうらくじ)〕の直右衛門(なおえもん)一味のこと、さらには、〔狐火〕の勇五郎一味のことも、大伯父に告げなかったことは、すでに記した。
では、銕三郎が立てた手柄とは?
その前に、ご存じのファンも多いとおもうが、『鬼平犯科帳』の盗賊の「通り名(呼び名とも)」の出所について触れたい。
じつは、盗賊たちの「通り名」が、長谷川平蔵と同時代にいた絵師・鳥山燕石の絵筆になる『画図百鬼夜行』からも採られているのではないか---と気づいたのは、『剣客商売』文庫巻2[妖怪・小雨坊]の数行を読んだ時である。
「これはおもしろい」
買いもとめてきた絵本があった。
〔画図・百鬼夜行(ひゃっきやぎょう)〕と題したもので、出版元は元飯田町中坂の遠州屋弥七。絵師は鳥山石燕である。
だいたい、物語の篇名[妖怪・小雨坊(こさめぼう)]からして、『画図百鬼夜行』に描かれている百鬼の一匹なのである。
かつて講じていた[鬼平熱愛倶楽部]のメンバーの一人---I・Sさんからも、〔野槌(のづち)〕の弥平(文庫巻1[唖の十蔵]に登場)の〔野槌〕もその本に描かれていると指摘をいただいた。
で、図書館で全図復元の『画図百鬼夜行』(国書刊行会 1992.12.21)を借りてきて調べたら、なんと15人の「通り名」が借りられていた。
50音順に並べてみる。
〔青坊主(あおぼうず〕の弥市 [2-5 密偵]
〔網切(あみきり)〕の甚五郎 [5-5 兇賊]ほか
〔犬神(いぬがみ)〕の権三 [10-1 犬神の権三]
〔鎌鼬(かまいたち)〕の七兵衛 [24-1 女密偵女賊]
〔川獺(かわうそ)〕の又平衛 [2-6 お雪の乳房]
〔火前坊(かぜんぼう)〕の権七 [1-5 老盗の夢]
〔狐火(きつねび)〕の勇五郎 [6-4 狐火]
〔蛇骨(〔じゃこつ)〕の半九郎 [10-6 消えた男]
〔土蜘蛛(つちぐも)〕の金五郎 [11-2土蜘蛛の金五郎]
〔野槌(のづち)〕の弥平 [1-1 唖の十蔵]
〔墓火(はかび)〕の秀五郎 [2-2 谷中・いろは茶屋]
〔火間虫(ひまむし)〕の虎次郎[14-3殿さま栄五郎]
〔蓑火(みのひ)〕の喜之助] [1-5 老盗の夢]
〔狢(むじな)〕の豊蔵 [16-5 見張りの見張り]
〔轆轤首(ろくろくび)〕の藤七 [14-6 さむらい松五郎]
【推奨】呼び名の(ひらがな)がオレンジ色になっている盗賊は、(ひらがな)をクリックで銘々伝へリンクします。
もっとも子弟(?)の多い〔蓑火(みのひ)〕のお頭までが、そうだったのには、池波さんのなみなみでない言葉の感覚に驚嘆したものである。
ついでにもう一人つけ加える。というのは、『画図百鬼夜行』には漢字---幽谷響に、ふりがなが「やまびこ」とついていたことを、今回の再調査で発見したので。
〔山彦〕の徳次郎 [4-6 おみね徳次郎]
【参照】〔山彦(やまびこ)〕の徳次郎
お断りも。
このプログで、『画図百鬼夜行』に〔窮奇〕とあったので、これは『鬼平犯科帳』で見た記憶がないと早合点して、〔窮奇(かまいたち)〕の弥兵衛という盗賊を新しく登場させたが、池波さんはちゃんと、〔鎌鼬〕の字をあてて文庫巻24[女密偵女賊]に命名ずみであった。
【参照】〔窮奇(かまいたち)〕の弥兵衛
そうそう、400名からいる『鬼平犯科帳』の「通り名」を冠された盗賊のうち、16名は『画図百鬼夜行』によるもので、あとの360名は、明治後半に吉田東伍博士が独力で編んだ『大日本地名辞典』(冨山房)からとられている。
さて、本題。
〔鎌鼬〕と重複していた〔窮奇(かまいたち)〕の弥兵衛の「通り名」を変えようと、2年ぶりに図書館から『画図百鬼夜行』を借り出して、適当な名を探したら、池波さんが使っていなかった84の妖怪名のうち、盗賊にふさわしいのが一匹ものこされていなかったのには、唖然とした。
しいてあげると、
〔見越(みこし)〕---無髪で、身の丈(たけ)が高く、背後から頭越しに人の顔をのぞくという化け物。
〔枕反(まくらがえし)---寝ている者の枕を逆にするいたずらお化け。盗みに入って、主人の枕を蹴って起こし、金庫蔵へ案内させる盗賊がいてもいいかなあと。しかし、いちいち、ふりがなをつけないと、「反」を「かえし」とは読みにくい。
ということで、〔窮奇〕の弥兵衛はそのままの名で、銕三郎に捕まるストーリィを、次回に紹介しよう。
| 固定リンク
「001長谷川平蔵 」カテゴリの記事
- 口合人捜(さが)し(5)(2012.07.05)
- 口合人捜(さが)し(3)(2012.07.03)
- 口合人捜(さが)し(4)(2012.07.04)
- 口合人捜(さが)し(2)(2012.07.02)
- 口合人捜(さが)し(2012.07.01)
コメント