〔犬神(いぬがみ)〕の権三
『鬼平犯科帳』文庫巻10の巻頭に[犬神の権三]と、タイトルにもなって収まっているひとりばたらきの主人公〔犬神(いぬがみ)〕の権三郎。
年齢・容姿:42,3歳。ぎょろりとした眼だま、大ぶりな口と鼻、濃い眉毛の役者面のいい男。肥えている。
生国:佐渡(さど)国羽茂郡(はもちこうり)犬神平(現・新潟県佐渡郡小木町犬神平)とすれば収まりがいい。
しかし、池波さんが佐渡へ足を踏み入れた記録は目にしていない。
字は違うが音はおなじ、近江(おうみ)国犬上郡(いぬがみこうり)の犬上川ぞいのどこか---たぶん、かつての大滝村、現在の犬上郡多賀町藤瀬の犬上川ぞいとみたい。
池波さんが座右からはなさなかった吉田東伍『大日本地名辞書』(冨山房)は、犬神の社にまつわる伝承---木樵(きこり)を飼い犬が大蛇から救った古伝を、日本中いたるところにある故事としている。
犬神を祀ったとされる多賀町の大滝神社の「大蛇ヶ淵」の銘板を掲げておく。
[銘板の文章」
旧跡 大蛇ヶ淵
大滝神社境内の御神木杉の辺より見降すあたりの岩瀬は「大蛇ケ淵」と呼ばれる。
上流に犬上ダムが建設されるまでは「大滝」の名に恥じない堂々たる瀑布であった。
滝淵には神代の昔、大蛇が棲んでいたと言われる。近辺の住民に仇なす祟り神であった。
大蛇は、犬上建部君稲依別命と忠犬小石丸によってこの淵に鎮められる。
(詳細は参道上の犬胴松の由緒をご覧ください)
ここより目を対岸に向けると小さな祠が見えるが、この祠が犬上神社の元社稲依別命が小石丸の首を鎮めたと言われるところで眼下の大蛇ヶ淵と時に大奔流と化す川面を見守り鎮めているかのようである。
平成13年(2000年)7月
大蛇に見えないこともない大滝神社下の犬上川
犬の首奇談は西国のものらしいし、横溝正史『犬神家の一族』も中国地方が舞台だったように記憶する。
鳥山石燕『画図百鬼夜行』(国書刊行会 複写刊行)から、「犬神・白児(しろちご)」の絵を引いておく。
探索の発端:密偵となった〔雨引(あまびき)〕の文五郎が、〔犬神(いぬがみ)〕の権三郎を破牢させた。8年前に、病妻を看取ってもらったことの恩返しのつもりだった。
(参照: 〔雨引〕の文五郎の項)
しかし、権三郎はそのことを忘れてしまってい、文五郎とともに大坂・心斎橋筋の唐物屋〔加賀屋〕へ押し入り、600余両を奪ったのに、300余両しかなかったといつわり、猫ばばした300両の報復のために破牢させたと誤解していた。
女密偵おまさは、権三郎の情人で女賊おしげと上野広小路で出会い、男のことをのろけられた。おまさすかさず
尾行、おしげの家は見張られることになった。
(参照: 女密偵おまさの項)
結末:南千住の文五郎の隠れ家を襲う権三郎を尾行、事前に捕らえた火盗改メだったが、隠れ家で文五郎は自裁するとまではおもいがおよばなかった。
つぶやき:「恩は着せるものではなく、きるもの」との人生訓を、池波さんは長谷川伸師から受けついでいることは、『完本 池波正太郎大成』(講談社)の別巻に収録の[二十六日会聞書]に銘記のとおりである。
鬼平は権三郎を「唾棄すべき男」と極めつける。
「犬神の権三郎という奴は、恩をほどこしたことも、ほどこされたことも、すぐに忘れてしまう奴よ----」
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コメント
当ブログがずば抜けてユニークなのは、記事に関連のある過去の記事にリンクが張られていることです。
一般のブログは、日がすぎると、記事はお倉入りというか、眠ってしまうのに、当ブログでは、リンクによってたちまち目覚めるんです。
いや、鬼平流にいうと、「つなぎ」がつけられる、ですね。
きょうの〔犬神〕の権三郎でいうと、かつての盗め仲間の〔雨引〕の文五郎と密偵おまさにリンクが張られています。何カ月も前の記事です。それが、リンクで蘇るんですから、たまりません。
鬼平ワールドの隅の隅まで、案内されている感じです。
投稿: 文くばり丈太 | 2005.05.01 13:07
文くばり丈太さん
いつも、的確なご指摘、ありがとうございます。
お蔭で、勇気も湧いてきます。
ブログって、日常茶飯事を書くためのコミョニケーション手段ではないとおもうんです。
プロバイダーは、なにがなんでもブロガーを取り込みたいから、愚にもつかない個人的な滑った転んだでいいとあおりたてていますが、ブログって、そういうものではないと思っています。
やはり、記録に残しておくべきことを書くべきでしょうね。新聞だって縮刷版をつくって遺しているんですから。
投稿: ちゅうすけ | 2005.05.01 13:45
「鬼平犯科帳」のHPを見るために、憶え始めたパソコンで、まだ7,8ヶ月、見るもの聞くもの総てが新しい事ばかり、萎縮した頭で一生懸命吸収しているところです。
最近は「鬼平」関連以外のブログも読んでいますが、ブロバイダーの宣伝通り、ほとんどが日記形式でプライベイトなことです。
「盗人探索日録」の様なものは、見つかりません。
西尾先生は「記録に残しておくべきことを、書くべき」とおっしゃってますが、それを毎日毎日継続していくのは、並大抵の事ではないと。思います。
深い知識と優れた探索眼をお持ちなのを、常常感嘆しております。
ひとりの作家をこの様な見地から掘り下げていく、研究法に非常に新鮮さを感じております。
また一つブロうの活用方法を憶えました。
今日で139人目ですか、まだまだ続きそうなので。、楽しみです。
ご健康にご留意されて、他に例のない価値あるブログをお願いいたします。
投稿: みやこのお豊 | 2005.05.01 15:48
>みやこの豊さん
ご声援、ありがとうございました。
ブログの広範な使い方をいろいろ考えて、身の丈にあった[盗人探索日録]を立ち上げて、はや、4カ月がすぎました。
お蔭さまで、アクセス数も、地味なコンテンツにもかかわらず、予想外の数をいただいております。鬼平、池波ファンの多さをしみじみ感じ、感謝しております。
こんごとも、変わらぬご支援をお願いいたします。
投稿: ちゅうすけ | 2005.05.01 19:05