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2008.03.19

於嘉根(おかね)という名の女の子

「若さま。〔風速(かざはや)〕とかおっしゃる方がお待ちになっておられます」
下僕の太作(たさく 60歳近い)が、学而(がくし)塾から帰ってきた鉄三郎(てつさぶろう 20歳 のちの小説の鬼平)に、告げた。
太作はめっきり老け込んで、腰もすこし曲がってきている。
屋敷の主・平蔵宣雄(のぶお 47歳 先手・弓の8番手の組頭)は、長年の働きを多として、仕事はしないで隠居していろと言っているのだが、本人にはその気がない。あいかわらず、小まめに薪を割ったり、門前の掃除をしてりしている。

「なに、〔風速〕と申したか?」
「はい。箱根路の〔風速〕と言っていただけばわかるとおっしゃって---手前の部屋でお待ち願っております」
「よし。躰の汗を流して着替えたら、おれの部屋へ案内してくれ」

箱根路と聞いて、咄嗟に、久しく忘れていた2年前の、芦ノ湯村湯治宿のむすめ・阿記(あき 当時21歳)の、事が終わったあと、薄紅色がさした白い肌をさらしたままで恍惚とまどろんでいた姿が、生々しく、よみがえった。

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(国芳『江戸錦吾妻文庫』)

18歳の春、銕三郎は駿府(静岡市)へ、養女・与詩(よし 当時6歳)を迎えに行く箱根路で知り合い、鎌倉の縁切り寺の東慶寺までいっしょに旅をし、幾夜も躰を重ねた。

井戸端で水をかぶっているあいだも、股間のものの緊張はやまなかった。
(そういえば、この春、東慶寺で2年の奉仕を終えて、無事に離縁できたろうか?)
阿記の実家、芦ノ湯の湯治旅籠の〔めうが屋〕の離れの浴槽で背から抱いた阿記の張りのあった臀部の感触は、まるで、春の川の流れに身をまかせていてのできごとのように、思いだす。

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(英泉『玉の茎』[水中浮流])
ちゅうすけ注】2人が、上の絵のような愉しみ方をしたのは2008年1月18日[与詩を迎えに] (28)

単衣に着替えたところへ、太作が〔風速〕の権七(ごんしち 33歳)を案内してきた。
長谷川さま。お久しぶりでごぜえます」
「権七どのらしくもない。挨拶は抜きです。いつ、江戸へ?」
「もう、2ヶ月になりますか---」
「だから、その普段着なのですね。どうして、すぐに来てくれなかったのです?」
長谷川さま。それは無理というもの。鉄砲洲を訪ねてゆきましたら、阿波(あわ)さまの中屋敷の門番たちに追っ払われちめえました」
「それは、相すまぬことでした。昨年末にここへ越したのです」
「さようだそうで---。湊町の名主に教えられました」

「で、江戸へは---?」
「はい。箱根で、ちょいとまずいことを起こしまして---」
「で、江戸では、どこに住んでいますか? 須賀どのは?」
須賀の奴を、覚えていてくださいましたか。あいつにいってやれば、喜びましょう。いえ、須賀もいっしょ、というより、あれが、永代橋東詰でちっぽけな呑み屋を開きまして、居候をしてまして」
「なんだ、近くではないですか」

「それはそうと、長谷川さま。駿府へのお供をなさっていた、藤六(とうろく 47歳)どんが、芦ノ湯村の〔めうが屋〕の女中・都茂(とも 45歳)と仲むつまじく、〔めうが屋〕で働いているのはご存じで?」
藤六が1年前に暇をとったのは、そういうことだったのか。よほどに、躰と躰があったとみえる)

ちゅうすけ注】『鬼平犯科帳』巻6[狐火]で、〔相模(さがみ)〕の彦十が、おまさに、2代目狐火とは、「よほどに躰と躰があったんだね」と。あれです、藤六都茂の仲は。百に一つ---あるかなしなんですってね。

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(北斎『ついの雛形』)

「〔めうが屋〕といえば---」
「それでございますよ、長谷川さま。阿記さんが子づれで尼寺から帰ってきたのはご存じで?」
「なに? 子づれ---?」
「はい。1歳ちょっとの---」
「知らなかった!」


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