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2007.12.26

与詩(よし)を迎えに(6)

銕三郎(てつさぶろう 18歳)。これは、道中の小遣いである。なんになと、使うがよい。旅籠の支払いは、前のときと同じで、すでにとどけてある」
あすは駿府へ旅立つ前の日の夕餉(ゆうげ)のとき、父・平蔵宣雄(のぶお 45歳)がかなり重い金袋を渡してくれた。

「かたじけのう。遠慮なく頂戴いたします」
「こんどは、親類中から餞別を集めていないらしいゆえ、それぐらいは必要であろう」
「はっ。どうも。あの節は、見苦しいことをいたして申しわけございませぬでした」
「もう、よい。すんだことをくよくよと悩むでない」

4年前に銕三郎は、あることを調べるために駿州・藤枝宿はずれの田中城まで、旅をした。初めての旅という口実を使って、親類中をまわり、餞別をたっぷり集めたのだ。

その旅には、銕三郎にとって、思いがけない人生体験が待っていた。女躰に初めて接したのである。

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(歌麿『歌まくら』[若後家の睦」部分 「芸術新潮]2003年1月号)

参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・芙沙(ふさ)]
2007年7月24日[仮(かりそめ)の母・お芙沙(2)]

夫を亡くしたばかりのお芙沙に出会い、男になった。
豊饒な体験であった。
芙沙のやわらかな女躰が発した、山百合のそれのように濃密な香りが、いまでも鼻あたりで匂うよう気がすることがときどきある。
(4年も前のことなのに。以来、女躰には触れていない。塾の悪童たちからしきりに誘われるが、お芙沙を裏切るようで、そういう場所の女は、抱きたくない)

(お芙沙に会うことがかなうやもしれない)
そう思っただけで、股間が固くなってくる。
そういう年齢なのだ。
股間もお芙沙を求めてうずく。
自分でも怖いほどに再会を熱望している。
(元服名・宣以 のぶため となったと告げたら、お芙沙は「やはり、わたしには(てつ)さまです」というだろうか)
とめどもない。

妄想をふりはらい、書物奉行筆頭の中根伝左衛門正雅(まさちか 75歳 書物奉行筆頭 廩米300俵)のところの小者がとどけてくれた、駿府町奉行・朝倉仁左衛門景増(かげます 61歳 300石)の経歴書に、しばし専念することにした。

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駿府奉行は1000石高だが、役料が別に500俵。奉行所には与力8騎、同心60人。
(身内でいうと、本家の主膳正直(まさなお 54歳 徒(かち)の頭 1450石)伯父とおもって対すればいいか)。

銕三郎は、自分の意見を気ばとも気おくれもしないで坦々というが、年長者の言うことも最後までうなずきながら聞くので、彼らからは不思議と可愛いがられるほうだ。
朝倉のじいさんは病床にあるときいている。小田原で〔ういろう〕でも買って行こう)。

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