与詩(よし)を迎えに(5)
「中根さま。朝倉ご奉行の最初の奥方に嫁がれた、大木(400石)さまのことをお伺いしてよろしゅうございますしょうか?」
「先代の孫八郎親次(ちかつぐ 82歳卒)どのですかな、それとも、当代の喜兵衛親祇(ちかまさ 53歳 新番の2番手組頭)どののほうですかな」
銕三郎(てつさぶろう)は、そこまでは意識していなかった。嫁いだ人は、朝倉仁左衛門景増(かげます 61歳 300石)が駿府の町奉行(1000石高 役料500俵)として赴任する前に、江戸ですでに亡じている。
中根伝左衛門正雅(まさちか 75歳 書物奉行筆頭 廩米300俵)は、温和な目に、興味深げな色をうかべて、銕三郎の問いかけを待っていた。
「いえ、大木さまの菩提寺が、わが家とおなじ、四谷・須賀町の戒行寺なものですから、どのようなお家柄かと---」
「そのことでしたか。大木家は、武田方の流れです。長谷川どのは法華宗でしたな。推察ですが、大木どのは身延(みのぶ)のご縁やもしれませぬな。屋敷はたしか、三番町。ご当代は、新番・2番手のお組頭が長いようです」
「あの、お逝きになった方にお子は?」
「あったとしても、江戸の屋敷にお住まいでしょうが、もう、相当のお齢ゆえ、男子なら養子に、女子なら嫁がれていると考えたほうがよろしいでしょう。お子がなにか?」
「駿府に迎えに行きます養女が6歳なので、いじめにでもあっていたらと案じましたが、なるほど、朝倉ご奉行のお齢をからしますと---これは、杞憂でした」
「それで、いつ、お発ちかな?」
「あと、3日のうちでございます」
「それまでに、朝倉ご奉行のご経歴をお届けいたしましょう」
「あ、お手数をおかけして、恐縮に存じます」
「なんの、なんの。銕三郎どのに妹ごができる慶事のお役にたてば、老骨の喜びでもありますわい」
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