仮(かりそめ)の母・お芙沙(2)
それから5日後の昼すぎ、銕三郎(てつさぶろう のちの平蔵宣以 のぶため)と供の太作は、東海道・三島宿の本陣・樋口伝左衛門方に着いた。
予定よりも2刻(約4時間)も早く投宿したのは、江尻宿をまだ薄暗いうちに出立したからである。
銕三郎は、明日はお芙沙(ふさ)に会えるとおもうと、興奮してほとんど眠れなかった。
夜中をかけても、三島へ走りたかった。
ああしてみよう、こうも愛撫しよう---あの夜、お芙沙 がやってみせてくれた仕儀(わざ)に、自分なりの工夫を加えた架空の性技を、頭の中でくりかえしひねくりまわしてみる。
空想の基(もと)はといえば、誰かが密かに儒塾へ持ちこんで回覧した秘画の男女の姿態からほとんど出ていない。
(国芳『華古与見』部分 イメージ)
(いや。仮(かりそめ)の母上にまかしきったほうが、お芙沙どのの満足もより深まるのではなかろうか)
(なに、14歳とはいえ、銕三郎は男なのだ。男として、さすがといわれるほどのところを見せてこそ、女性(にょしょう)の尊敬がえられるというもの)
(秘画では、どの女性も着たままで行なっていたが、あれは、無理やりに裾を割られることに一層の刺激を感じているのであろうか。ならば、お芙沙どのにも、こんどは着たままで、いてもらおう)
(歌麿『若後家の睦』部分 芸術新潮2003年1月号)
いやはや、とめどもなく空転していく。それほど、銕三郎にとっての先夜の初体験は戦慄的な刺激であった。
これからの長い性生活の最初の炎としては、あまりにも燃えあがりすぎた。
旅籠を発ってからも、足が自然と速くなった。
「若さま。もうすこしゆっくりお歩(あゆ)みくださいませんと、太作がついてゆけません」
しばらくはゆるむが、太作の悲鳴は、三島まで何度もつづいた。
伝左衛門が呼ばれた。
「ご亭主どの。今夜もご案内、よろしくお頼み申します」
「それが---」
「母上も、一日早い到着を心得ておいでのはず」
「それが---お役に立てませんのですよ」
「---なんといわれました?」
「あのお女(ひと)は、もう、この土地にはおいでにはならないのです」
「なんと!」
「はい。お亡くなりになったご亭主の百ヶ日が3日前に開けまして、ご縁が結ばれた方のところへ片付かれたのでございます」
「そんなこと信じられない。虚言でしょう?」
「なんで虚言など申しましょう」
「いい。行ってみる」
銕三郎は、飛ぶようにして、三島神社の裏の路地へ行った。
(本陣〔樋口〕=左下赤○とお芙佐の家右=上赤○
三島市観光協会小冊子より)
思い出の家の戸はしまり、なんど敲いても静まりかえって、人の気配はなかった。
銕三郎の落胆は大きく、大切なものが目の前からばっさりと消えたようだった。
胸の中に大きな空洞ができた。
宿に戻ると、太作がいたわるように、
「若。いい思い出は、大切にしまっておおきになることです」
銕三郎は、太作にむしゃぶりつき、声をあげて泣いた。
その背中を、やさしくなでてやり、
「お泣きなさいませ。うんと泣けば、涙が胸の空洞に満ちて泉になりましょう。男のほんとうのやさしさがその泉から湧きでます」
三島神社の裏の家でも、お芙沙が涙を流しながら、耐えていた。
初物の、青く硬い果実を、こちらの躰で、夜ごとに熟(う)らしていく味わいを 経験したかった。
高齢の亡夫からはえられなかった、若い男だけが発する獣のような匂い---。
銕三郎の声がした時、おもわず、戸閉まりをあけに立ちそうになったが、ふみとどまった。
伝左衛門から強くいわれたのである。
「長谷川さまは、旗本のご嫡子として将来のあるお方。それを三島などで朽ちはてさせてはなりませぬ」
先夜、伝左衛に頼みこんだのは、太作であった。
その太作も、お芙沙が伝左衛門の実の娘であることは知らなかった。
翌朝。
銕三郎と太作は、はやばやと三島を発っていった。
【参照】2007年7月16日[仮(かりそめ)の母・お芙佐(ふさ)]
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