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2007.07.25

田沼邸

石谷(いしがや)備後守どの(清昌 きよまさ)が佐渡から公用でお戻りになっての。くさぐさのお話をみなみなで拝聴しようと---」
田沼主殿頭意次(おきつぐ)の木挽町の屋敷である。
長谷川平蔵宣雄(のぶお)のほかに、本多采女紀品(のりただ)、佐野与八郎政親(まさちか)の3人、ほかには、横田和泉守松房(としふさ 1000石)、川井次郎兵衛久敬(ひさたか 530石)が招かれている。

_100備後守どのは、わが田沼家とおなじく紀州からの出頭じゃが、わが家とちがい、初代さま(頼宣)につけられて紀州へ下られたお家柄での」
「なにを仰せられますか、主殿頭さま」
いまは、1万石、評定所出座の意次である。
「いや。失礼つかまつった。備後守どのの公用というは、勘定奉行をお引き受けくださるかとの下相談のためだが、このこと、10ヶ日もしないでご内示がでようほどに、人事につき、おのおの、ご内密にな」
石谷家は500石(のち800石)。清昌はこの年、45歳。佐渡奉行として赴任したのが3年前。屋敷は小川町(おがわまち)。

「こちらは、川井久敬どの。いまは小普請組の与(くみ)頭をしておいでだが、なかなか。遠江の川井村の出でござったな。つまりは今川どのの旧家臣であり、早くからの大権現さま(家康)のご直参でもある。そうじゃった、長谷川どののご先祖も今川どのから徳川へお移りになったのでしたな。姉川、三方ヶ原でともに相手方とお戦いになったわけじゃ」
川井です。お初にお目にかかります」
川井家は530石。この年、35歳。屋敷は表六番町。のちに意次に引きたてられて勘定奉行として腕をふるったのは10数年後。
「ああ、長谷川どのとは、今川どののご縁でしたか」
「遠江の小川(こがわ)の出でございます。よろしゅう、お願いいたします」
宣雄が挨拶を交わすのが終わるのを待って、意次が、
本多どのも表六番町でござったのでは---」
「はい。同じ町内なので、本多さまのご門前はよく通っております」
「よく、お見かけしますな」
本多采女がそつなく応じる。

「こちらは、横田和泉守どの。西の丸のお小姓組におられるから、佐野与八郎どのとは、もう、お顔なじみでござろう」
「組は異なっておりますが、年齢も近く、年少組など称してお近づきさせていただいており、なにかと---」
佐野与八郎が答えた。年齢は近いとはいえ、横田家は5000石。佐野家は1100石。
「いや、教えられているのは当方でして---」
横田準松が受けたところで、
「そうそう---」
思い出したとでもいった風情で意次が、
横田どのも屋敷は築地でござったな」
これを引き取って、宣雄が、
「はい。横田どのは本願寺の脇に構えておいでですが、陋屋は大川の川辺近くでございます」

それにしても、田沼意次の記憶力と調べには、本多紀品長谷川宣雄も恐れ入った。
いったい、どういう頭の仕組みになっているのか。
この調子でやられたら、たいていの人間は、意次を好きになってしまうだろう。

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