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2007.07.26

田沼邸(2)

ひととおりの紹介が終わったところで、石谷(いしがや)備後守清昌(きよまさ)が、
「では---」
と姿勢をあらためると、田沼意次(おきつぐ)がさえぎった。
石谷どの。無礼講でござる。まずは、お気楽に---」
酒も出た。肴もくばられた。

素朴で田夫子のような風貌の石谷清昌が、佐渡の相川金銀山がむつかしくなってきているというと、意次が、
石谷どのが着任されてより、長崎へ送る煎海鼠(いりこ)や鮑(あわび)の量がふえましてな」
と水をむける。
長谷川平蔵宣雄(のぶお)は、
(あっ)
と感じ入った。
国中の幕府直轄の金銀山が痩せてきていることは、幕臣であればほとんどの者が知っている。長崎の交易での流出が激しかった。
清(しん)国との交易に、金銀の代わりに俵物とよばれる煎海鼠や鮑が使われていると聞いたことがあったが、産地は松前藩とばかり思っていたが、じつは佐渡だったのか。
見ると、本多采女紀品(のりただ)も佐野与八郎政親(まさちか)も瞳を輝かせて聞き入っている。

「佐渡の金銀山が、島の西北側の朝鮮に対面している相川の裏山にあることはご存じでございましょうか。

_360
(佐渡島 赤○=奉行所のある相川 緑○=金銀を産する青盤鉱山)

その相川に、新海士町(あままち)を設けて、海士村にいた働き手たちを移住させましたら、監視の手がうんと少なくてすむようになりました。長崎奉行所へなるべく多くの煎海鼠と鮑を届けるために、佐渡島内での売買を禁じましたので、その監視がたいそうな手間だったのです」
石谷どののお手柄は、それだけではありませぬぞ。鉱山の精錬所を一つところへまとめて、諸掛かりを半減された。役人にはきわめて稀な、掛かり経費というものがお分かりになっているご仁なのじゃ」
意次の目は、見るべきところをきちんと見ている。

宣雄が問うた。
「佐渡奉行所の人手は、いかほどでございますか」
「与力30人、同心70人です。これで、相川、小木、赤沼、夷(えびす)の4ヶ所の代官所をまかなっております」
佐野与八郎も訊く。
「金銀、煎海鼠と鮑のほかに採れますものは?」
「冬の豪雪を除くと、米が3万石をきるほど。山ばかりの島で、田畑になる土地がすくないのです。それで、松前藩との交易もすすめております。こちらからは、竹細工もの、藁細工もの、籐細工もの、味噌、醤油、串柿などを細々と。越後の米も買いこんで送っております」
石谷どのは、みごとな経綸家での。それでこたび、勘定奉行をお願いしようと、な。そうそう。石谷どのは、大きな夢をお持ちなのじゃ。ご披露くださらぬか」
またも意次のすすめ上手。
石谷清昌も、あまり変化のでない顔に、まんざらでもなげな微笑をうかべ、
田沼侯の、せっかくのおすすめなので。じつは、年来、国内の通貨の一元化を考えております。上方から西の銀単位、名古屋からこちらの金量目、これを一つにする方策でございます」

川井次郎兵衛久敬(ひさたか)が、膝をのりだした。
石谷さまのご計画、拙も大賛成で、あれこれ、案を練っておりますが、大坂商人たちの反発もありましょう、一筋縄ではなりがたく---」
意次が大きくうなづいた。
どうやら、通貨の東西一元化は、今宵始めて出た議題ではないらしい。

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コメント

本筋からはずれますが、画面構成が変わりましたね。
慣れないせいかか見ずらいような気がいたします。
それにアクセスカウンターが開かないので、カウントの詳細が不明ですね。管理者さんにはわかるのでしょうか。

投稿: みやこのお豊 | 2007.07.26 12:44

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