お勝、潜入(4)
「お勝。お竜(りょう 享年33歳)どのの忠告がある」
「お姉さんからって、いつのことですか?」
はやくも、嫉妬(やきもち)まじりの声になっている。
(あれほど永く究めあったはずなのに、もう、恋敵あつかいだ。おんなは変わり身が速い)(歌麿 お竜のイメージ)
「夢の中でだ」
「あたしたちが、できたあとですか? それだと聞く耳をもちません」
「できた7夜も前のことだ」
「許してさしあげます」
銕三郎(てつさぶろう 27歳)は懸念した。
(これほど、男女のあいだがらにこだわっていて、閒者の役をつらぬきとおせるのだろうか?)
銕三郎の不安を読みとったように、
「これでも、〔蓑火(みのひ)〕のお頭(かしら)の下で、お盗(つと)めの引き込みを10年もやってきています。お役目はわかってますから、連絡(つなぎ)のほうをしっかりやってください」
逆にはっぱをかけられた。’(お勝のイメージ)
【参照】2008年10月18日[お勝というおんな] (1) (2) (4)
2008年10月21日[お雪というおんな] (5)
2008年11月27日[諏訪左源太頼珍(よりよし)] (3)
2009年1月23日[銕三郎、掛川へ] (3)
2009年6月6日[火盗改メ・中野監物]清法(きよかた) (4)
その連絡役は、明日、入絡するはずの〔からす山〕の松造(まつぞう 20歳)を、とりあえず、お勝の弟というふれこみで、あてることになしている。
甲州・八代郡(やつしろこおり)中畑村から、江戸・本所の軍鶏なべ〔五鉄〕の板場で働いたが、仕事がきついので、姉のお勝を頼って上洛したという筋書きである。
お竜からの幻の忠告だが---と、彼女が死んだ夜に
「御所役人に閒者(かんじゃ 密偵)を入れるのは、早すぎましょう? 気づかれては元も子もありません」
こう言ったと伝えると、
「銕(てつ)さま。お勝は、御所役人の家に奥女中にはいるのではありません。白粉屋の化粧(けわい)指南師として働くのです。間違えないでください」
手におぼえさせた仕事のあるおんなとして、誇らかに宣言したものである。
(これでは、松造も苦労しそうだ)
はやくも、銕三郎の股間に手をのばして催促するのを、
「お待ちなさい。ものの本にあった、閒者のこころがまえを、も一度、さらえてからだ」
「あたし、犬じゃありません。おあずけなんか、ききません」
銕三郎は、お勝のかすかに紅の味がのこっている口を吸いながら、頭の中で『孫子』[用閒篇]の語句をさらえていた。
【参照】2008年10月1日~[『孫子 用閒篇』 (1) (2) (3)
「死閒(しかん)というのがあったな」
おもわず、つぶやいてしまった。
(死閒とは、配下の閒者に偽りの戦闘なり陣形をとらせて、敵を誘いだし、計略のはめること)
お勝が聞きとがめた。
「死姦(しかん)だなんて、お竜お姉さんのことが、まだ、忘れられないんですか。未練たらしい」
「そうではない。『孫子』だ」
「損しだか、得(とく)しだかしりませんが、このときには、このことに念を集めてくださいな」
「男が、ことを長びかせるには、ほかのことをかんがえるのが妙法---ということをしらないのか?」
「男と睦んだことがないのに、男の妙法など、しってるわけないでしょ」
「そうであったな。ふっ、ふふふ」
「笑いごとではありません。あたし、まっとうにやってるんです」
「そう。これが、まっとうぞ」
【ちゅうすけのつぶやき】長谷川銕三郎の成長の過程で、かかわりのあったさjまざまな幕臣の周囲を仔細に見ているのは、そうすることにより、幕閣のような実権をもった人たちではなく、光があたることは少ない下の層も示すことで、江戸時代の一端に触れられるとおもうからである。
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