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2009.08.08

〔左阿弥(さあみ)〕の円造

からす山〕の松造(まつぞう 20歳)が、朗報と厄報(---と書いては常識に反する)をもたらした。

朗報は、父・宣雄に、京都東町奉行の発令が(旧暦)10月15日づけとなり、同時に備中守・従五位下に叙爵の内示があり、連日、あいさつ廻りにいそがしくしていると。
叙爵は、長谷川家はじまって以来の名誉であった。
もっとも、始祖の正長(まさなが 37歳で三方ヶ原で討ち死)は紀伊守を称してはいたが。

徳川実紀』は、10月15日の授勲者を宣雄一人だけ記している。
例年、幕臣の叙爵は12月初旬であるから、宣雄のそれは、赴任後、すぐに受爵に戻るのはきつかろうという思いやりと見ることもできる。
しかし、ちゅうすけはもっとうがって、幕閣の意思をそこに見ている。
すなわち、着任したらさっそくに密命を果たせ、叙爵などのために任地を離れるな---と。

厄報は、宣雄の赴任に、久栄(ひさえ 20歳)が同道して上洛してくるというのである。
於初(はつ)はまだ、7ヶ月であろう」
「ですから、於初姫は、旅がお出来になるまで、乳母人(ちちうど)にお預けになっておくとのことでした」
「うーむ。その手があったか」
「若さまも、お待ちかねであろう、もう、すこしの辛抱---と言伝(ことづ)かりやした---ました」

松造。その言葉づかいだが、町奉行所の役宅に入るまで、やした、でいってくれ」
「なぜでございます?」
「ほれ、それが困るのだ」
「なんででごぜえやす? こうですか?」

松造に、お(かつ 31歳)とのつなぎ(つなぎ)役を言いつけ、お勝のつくりごとの素性を話してきかせると、やっと納得したのはいいが、
「若奥方がいらっしゃいましたら、そのおというおなごは、あっしが引きうけてもようがすよ」
「ばか。姉弟で睦みあっては、人道にもとる」

松造とのいっときの生活のために、〔瀬戸川(せとがわ)〕の源七(げんしち 56歳)が見つけてきたのは、白粉屋〔延吉屋〕半兵衛のところから、堺町通りを御所のほうへ6丁ほど北の、押小路の路地の奥の一軒家だった。

手づけをうったあとで父・宣雄の赴任日がきまったので、しばらくはそのまま、隠れ家として借りておくことにした。家賃は、〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 52歳)がしばらくみてくれるというから、好意をうけることにした。

銕三郎(てつさぶろう 27歳)は、松造を伴って〔千歳(せんざい)〕で、お(とよ)に引きあわせ、ついで〔左阿弥(さあみ)〕の円造(えんぞう)の家を教わり、松造に、
「明日、ごあいさつに伺いたいが---」
と、予約をとりにゆかせた。
左阿弥〕の円造は、祇園一帯をとり仕切っている香具師(やし)の元締である。

「返事は、〔津国屋〕へ帰ってからでいい。そのあたりで、一杯、やってから帰れ」
1分(ぶ 4万円)をにぎらせる。

「奥が上洛してくる」
飯台におかれた片口から冷や酒を汲みながら打ちあけると、
「いつ、お着きですか?」
「11月のはじめかな」
「それまで、飽きるほどお会いできます」

まるで、それがきまりのように、小女を帰し、老爺・駒右衛門に表戸をたてるように言いつけた。
「ほんとうに〔左阿弥〕の円蔵元締とお知り合いだなんて、変なお武家---」
「けったい---かな」
「正体がしれません」
「食いつめ浪人の子だよ。〔津国屋〕も、あさってには引き払わなければならない」
「嘘ばっかり。食いつめ浪人が、供の郎党を連れているわけないでしょ」
「露見(ばれ)たか。じつは、町奉行の子息」
「また、嘘を---。でも、嘘も大きいほうが罪がなくていい」

おもいついたことがあって、円蔵元締の知恵を借りたいのだと言うと、
「そういえば、先刻、〔川端道喜〕さんが見えて、(てつ)さんに悪いことをした、謝っておいてほしい、御所内(ごしょうち)のことでなければ、お役に立ちたい---とおっしゃっていました」
「いずれ、お力をお借りするようになるとおもいます」
「やっぱり、変なお武家さま---〔道喜〕さんが、お人柄をほめていらっしゃいましたよ」

参照】2009年7月31日[川端道喜

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