〔左阿弥(さあみ)〕の円造(2)
「〔音羽(おとわ)〕の2代目はんからご丁寧な文(ふみ)をいただいとります。そやよってに、きょういらはるか、あすお越しやすかと、お待ち申してとりました」
祇園・京極一帯の香具師の元締・〔左阿弥(さあみ)〕の円造(えんぞう 60歳がらみ)は、その実力に似ず、小柄で、艶のある温和に顔だが、張りがあり、役者のようによくとおる声をしていた。
この声がいち怒気をこめたら、たいていの者は、ふるえあがってしまうだろう。
【参照】2009年6月21日[〔銀波楼]の今助] (http://onihei.cocolog-nifty.com/edo/2009/06/post-89f7.html)
2009年6月30日[〔般若〕の捨吉] (2)
2009年7月22日[〔千歳(せんざい)〕のお豊] (3)
「父が着任する前に、手くばりをしておく雑用がありまして、ごあいさつが遅れ、申しわございませんでした」
「なんの、なんの。うちらは、まっとうな生業(なりわい)から遠いとこでやらしてもろうてますよってに、こっちから出むくわけにもいきまへんなんだ。それにしても、目黒の大火はたいへんどしたなぁ。〔音羽〕の元締もひと役買ったそうで、よろしゅおした」
「〔音羽〕の元締にお引きあわせいただいた、〔愛宕下(あたごした)〕の元締のお助けがなかったら、父は火付け犯を逮捕できましたがどうか---」
【参照】2009年7月2日~[目黒行人坂の大火と長谷川組] (1) (2) (3) (4) (5) (6)
「それで、うちらに、なにか、お手伝いさせていただくことがおきましたんか?」
「はい。じつは---」
「お待ちを---。できの悪い子ぉやけど、息子の角兵衛をご相伴せていただきます」
角兵衛は40歳がらみで、円造よりも男ぶりはいいが、目の鋭さをまだ隠しきれていない。
それでも、銕三郎(てつさぶろう 27歳)をあなどる様子はみせず、部屋のすみにかしこまった。
(そういえば、〔愛宕下〕の息子・伸太郎も、あのようにひかえた。この世界の礼法なのであろうか)
銕三郎は、堺町通り四条上ルの白粉舗〔延吉〕半兵衛方に化粧指南師として、かかわりのあるおんなが雇われたこと、そのおんなの お披露目(ひろめ)として、[読みうり]をださせたいこと。
その[読みうり]には、禁裏ご用達の髪油、髪飾りの類、紅、鉄漿(かね)、かもじ、手かがみ舗をはじめ、美顔水、にきび消し、被(かずき)帽子、日傘舗などの広告をとり、禁裏の女官たちのあいだで流行(はや)っている髪形、化粧などの読み物を絵入りでのせるが、その[読みうり]を、〔左阿弥〕傘下のおんな物をあつかっている店で配ってもらうわけにはいかないか---[読みうり]は無料である、と説明した。
いまでいう、フリーペイパーの発想であろう。
「彫り師や刷り師への手間はどないしはるおつもりですかな」
「お披露目(広告)枠の揚がりでなんとか---」
「お武家はんに似合わず、銭勘定の帳合(ちょうあい)まで、みとおしてはりますのんか」
「江戸の[読みうり]の者に教わりました」
【参考】2008年8月12日[〔菊川〕の中居・お松] (11)
祇園社さんや清水寺に屋台店をだしている、それらしい店に置かし、おんな客に手渡さすことはなんでもないが、と、
「長谷川さまの目星は、どうやら、禁裏やろおもうとりますねんが、女官のあいだでの流行(はやり)ものというのんが気になりますな。堅気のおんなどもも、腹の底では、島原の太夫たちのようにおとこにもてたいおもうてるはず。いっそ、読みもののほうは、島原の太夫の化粧(みじまい)の秘伝のほうがよろこばれるのとちがいますやろか」
角兵衛が、遠慮がちに口をはさんだ。
「武家の商法でした。角兵衛どののご助言、うけたまわりました」
銕三郎が素直に頭をさげたので、角兵衛は面目をほどこし、一気にのり気になった。
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コメント
投稿: kayo | 2009.08.09 06:11
(* ̄ー ̄*)ヽ(´▽`)/
投稿: yuki | 2009.08.09 06:16
>kayo さん
ハートの絵文字、感謝。
活気がわいてきました。
投稿: ちゅうすけ | 2009.08.09 18:46
>yuki xy
さっそくに、絵文字での笑顔、ありがとうございました。
これからも、お気がむいたら、ときどき、コメントくださいますよう。
とても、力づけられます。
投稿: ちゅうすけ | 2009.08.09 18:49