〔銀波楼〕の今助
「長谷川先輩。今夜の〔木賊(とくさ)〕の林造(りんぞう 享年62歳)元締のお通夜には、行きますか?」
稽古を終えた銕三郎(てつさぶろう 26歳)に、弟(おとうと)弟子の井関録之助(ろくのすけ 22歳)が耳打ちした。
「なに? 〔木賊〕の元締が亡くなったのか?}
「おや、ご存じではなかったのですか? 〔小浪〕あたりから報らせがいっているとばっかりおもっていましたが」
(そういえば、小浪(こなみ 32歳)にも、しばらく会っていない)
小浪は、御厩(おうまや)河岸の渡しの舟着きの前の茶店〔小浪〕の女将で、〔木賊〕の林造の囲い女だ。
それだけではない。
盗賊〔狐火(きつねび)〕の勇五郎(ゆうごろう 50歳すぎ 先代)の江戸でのうさぎ人(にん)の一人である。
うさぎ人とは情報集めの要員で、盗賊にとっては、甞役(なめやく)とともに、重要な役をになっている。
【参照】2008年10月23日~[〔うさぎ人(にん)・小浪] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7)
「そうか。長谷川先輩はともかく、ご尊父が火盗改メにおなりになったから、今助(いますけ 24歳)の奴、回向の人たちが恐れるからと、報らせを遠慮したかな」
「通夜へ行くかどうかはともかく、死因はなんだったのだ?」
「ひどい目くらみ---つまり、卒中です」
「突然死といえば、そのあたりだろうな。で、通夜はどこで?」
「寺から断られて、〔銀波楼〕で」
〔銀波楼〕は、林造の老妻・お蝶(ちょう 55歳)がやっている今戸橋ぎわの料理屋である。
〔銀波楼〕などと、たいそうな屋号だが、向かいの〔金波楼〕にくらべると、格もそうとうに落ちるが、林造が浅草・今戸一円の香具師の元締であったので、繁盛はしていた。
「それで、林造元締が守っていた縄張り(しま)はどうなる?」
こういう話は高杉道場ではできない。
高杉銀平師(ぎんぺい 66歳)が嫌う。
【参照】2008年5月10日~[高杉銀平師] (1) (2) (3) (4) (5) (6) (7) (8)
銕三郎は録之助を法恩寺門前の茶店{ひしや〕に誘い、串団子を注文して、切りだした。
「今助が引きつぐようです。お蝶も承知です」
「今助は度胸もあり、義侠心(おとこぎ)も十分だし、頭も悪くはない。しかし、浅草という願ってもないようなしまを守っていけるかな」
「早くも、上野広小路あたりを縄張りにしている、〔衣板(きぬた)〕の宇兵衛(うへえ 45歳)や深川の櫓(やぐら)下を取り仕切っている〔横川(よこかわ)〕の太市(たいち 38歳)が目をつけているようです」
「盗賊ならともかく、香具師相手ではなあ」
銕三郎の分の串団子にも手をだした録之助が、
「あの者たちの賭場をあげるってのは? 火盗改メは、博打の取り締まりも役目でしょう?」
「それは、薮蛇になりそうだよ」
「どうして?」
「金づるをとりしまると、よけいに他のしまへ手をだすだろう」
「なるほど」
「今宵、とにかく、通夜には顔をだすが、長谷川の名は、決して出すな」
「なんということに?」
「初瀬(はつせ)だ。わが一族の、元の姓だから、まんざら、嘘ではない」
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