南本所・三ッ目へ(6)
「南本所・三ッ目の下領地のお改めの件、私ごとにつき、お手やわらかにお願いいたします。本日は、咄嗟のお願いにもかかわらず、お聞きとどけいただき、かたじけのうございました」
平蔵宣雄(のぶお 46歳 小十人の5番手組頭 400石)は、神田橋門外で、目付・長崎半左衛門元亨(もととを 50歳 1800石)に挨拶をした。
長崎半左衛門は、自邸のある駿河台の方へ去っていった。
宣雄は、半左衛門の鶴のように細い長身の躰が見えなくなるまでその場に立ちつくして、見送った。
半左衛門は、自分の考えに沈みこんでいたのであろう、振り返らなかった。
(神田橋門外から堀ぞいに竜閑橋へ 近江屋板)
(納戸町を訪ねてみるかな)
一瞬、その考えが浮かんだが、即座に、
(おれとしたことが、よほど、どうかしている---早まるでない)
打ち消した。
南本所・三ッ目の1200余坪の敷地が手に入ったとして、家が建つまでの仮住まいを、屋敷が広大な一門の叔父・長谷川讃岐守正誠(まさざね 69歳)に、前もって、頼み込こんでおこうとおもったのである。
そして、正誠が体調をくずして病床にあることを、つい、失念もしていた。
(常盤橋門外から日本橋へ 近江屋板)
堀の北ぞいを、鎌倉河岸、竜閑橋(りゅうかんばし)、一石橋(いっこくばし)とすぎて、日本橋の手前で船宿をみつけたので、若侍・桑島友之助(とものすけ 30歳)に舟の手配をさせた。
めったにないことなので、供の挟み箱持ち繁造(しげぞう 38歳)が驚いた顔をした。
「お疲れになりましたか?」
「うむ。気疲れだな」
舟が日本橋川へ出ると、
「桑島のおじじどのは、下野(しもつけ)・河内郡(かわちこおり)の桑島村の出とかいっていたな」
「はい。下桑島村と聞いております」
「村では、伯楽か馬医か、なにかだったかな?」
「いえ。畑百姓のニ男と聞いておりますが、それがなにか?」
「親戚に、牧場かなにかをやっていた家のことは、耳にしておらぬか?」
「一向に、存じませぬが---」
「そうか。それなら、それでいい」
(ふつうの島の字と、山のつく嶋との違いは、大きいのかもしれないな)
夕餉(ゆうげ)の時、銕三郎が報告をした。
「三ッ目から大手門まで、きょうのような曇りの日ですと、半刻(はんとき 1時間)ともう少々かかります」
「大儀であったな」
「父上。〔丸子(まりこ)屋〕彦兵衛は、信用してよろしいのでしょうか?」
「どういうことだ?」
「いえ。なんとなく---」
「なんとなく、で人を疑ってはならぬ。仮に疑わしいことがあっても、たしかな証(しる)しがあるまで、顔にも口にも出してはならぬ」
「はい。ただ、地券商売の場合、地券の持ち主ではない者と談合することがございましょうか?」
「そのような場を目にしたのか?」
「いえ」
「よいか。三ッ目の敷地のことは、以後、どこであっても、口にしてはならぬ。支障なく手に入るように、父が手をまわしている」
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